2011年8月23日火曜日

生き方の変革

もともと当の本人から依頼があればそうしようと決めた上で始めた。
9年になる。

名残り惜しくないと言えば嘘になる。
どちらかというと執着がある方だ。
しかし始めた時にそう決めていたので是も非もない。
色々な湧いてくる大脳からの信号を全て切断することにした。
行動が遅れれば肉体は大脳に支配されてしまうことはこの数カ月で痛感していたので、
即行動にうつす。

考え方には同意していたのも大きい。



ここ3年ほど考えていた。
最終的には人生において大した意味もないことだった。
ネットはバーチャルと皆さん仰る。
私は20年ほど携わらせてもらった感想から言うと、
ネットはまごう事無きリアルであった。
それは利便性が格段に上がった今は実感を伴って体感する。

結局は限られた能力とエネルギーと時間をどう使うか?
その点においてネットはリアルそのものであると思う。
明らかに残り時間が少なくなったと感じる今、尚更それは痛感するところだ。

東日本大震災が起き、
原発が崩壊し、
今なお毒を撒き散らし、
その毒によって日本政府は崩壊してしまった。
先生の高弟が入院され、
私の恩人であり最初のお師匠さんが見送ることも出来ずひっそりこの世を去り、
師の奥さんを見送って10年が過ぎた。
この5ヶ月間色々考えることがあった。
まだ整理できていない部分は少ないが、
無理やり心の整理しようとすることは止めにした。
心の中はとっちらかったままだ。
それでいい。

リアルそのものであれば、
仕事で必要か、
楽しくてやるか、
この2択しかない。

極端だとは思った。

助走とか、
ネゴシエーションとか、
準備とか、
言い換えれば句読点がないのだ。
当然ながら驚く。

これは天才の発想だと思う。
わかりやすいところで言うと「アイアンマン」のスタークさん。
あれが天才の発想をよく表していると思う。昨夜2をみて、
秘書の彼女に心より同情した。(笑)
あんな感じだ。
執着がない。
本人以外からすると唐突に思える。

自由自在で実に羨ましい。
ああありたい。
道は遠いが。

とにかく自分の枠で考えることを止めにする。
自分の枠に相手を押し込めようとすると衝突し、
しかも前提条件すら共有できないため理解はどのみち出来ない。
そうなると戦いしかない。しかも不毛な戦いになる。
何せ前提条件すら共有できないのだ。

結局最後は相手を
”受け止めるか、受け止めないか”
この点に尽きる。

正しいとか間違っているではなく、
自分の度量を測るだけの行為に思えた。
度量がなければ何事も、何人も受け止められないだろう。
自分の計りがどこまでメモリがあるか測ってみるいい機会だった。

意外にもメモリにまだ余裕があるようだ。
自分すら押し込めないのに、他人を押し込めるなんて思えば酷い話だ。
随分酷いことをしてきたと思う。

思ったより素直に受け止められた。
この素直さは「禅と脳」を読んだことの影響が大きいと思う。
大脳は想像していたより遥かに愚かであると実感したからかもしれない。
東日本大震災、福島の対応で、頭のいい筈の人達の愚かさは目に余った。

出来るだけ脳幹で生きてくように努力したい。