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2016年9月28日水曜日

得手不得手、表現活動の行方

・表現活動

あるアート・エージェントの方との会話で表現活動者の世界的動向なんぞを聞かせていただき、それまで自分が調べてきた範囲内の情報や、師の話等が綺麗に繋がったと感じました。表現活動者にとって最も大切なこと。

 芸術性の高い作品を、出来ることなら数多く

2015年12月16日水曜日

藝文對談ともえ


ホームページのトピックス-topics-では既にご紹介させていただきましたが、新たな活動を開始いたしました。名づけて 藝文對談ともえ です。

[藝文對談ともえ のサイト:http://tomoe.yataiki.net

芸術や文化について様々な話題を取り上げ、同門の天外黙彊さんと対談していくインターネット音声放送を主軸にしたサイトです。今後、部分的に文字起こしもする予定。学者でもない二人が、一国民目線で文化や芸術の話しを展開して参ります。宜しければお付き合い下されば幸いです。

2014年3月5日水曜日

大浮世絵展

終了しましたが先日本展に行って参りました。

時代順に展示されていると、いかに葛飾北斎が異彩であるかが伺えました。
幾つかカタログにある絵が無かったのは残念でした。
見逃したのかな?
葛飾北斎を見て天才はある日突然に生ずるものであって育むものではないものだと改めて実感しました。

2013年9月6日金曜日

ITmediaニュース:宮崎駿監督の「公式引退の辞」全文 「ぼくは自由です」

2013年09月06日 15時40分 更新
宮崎駿監督「公式引退の辞」全文
長編映画からの引退を表明した宮崎駿監督。本人による「公式引退の辞」を全文掲載する。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/06/news063.html
(引用)
公式引退の辞 宮崎駿
 ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応“あと10年”としました。
 もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。
 ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。
 “風立ちぬ”は前作から5年かかっています。次は6年か、7年か……それではスタジオがもちませんし、ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果たされてしまいます。
 長編アニメーションでなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろあります。やらなければと思っていること――例えばジブリ美術館の展示――も課題は山ほどあります。
 これ等は、ほとんどがやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。ただ家族には今までと同じような迷惑をかけるようになりますが。
 それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。 ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。
 ありがとうございました。
以上
2013,9,4

2013年4月8日月曜日

人間の幅1:可能性はいかに受容するか


自分の人としての幅をいかに広げられるか、去年からの私のテーマになっています。
それは師に以下のようなことを言われたのがキッカケでした。
これをシリーズで不定期に書いていこうかと思う。

才能は生まれる前から決まっている。
それは変えようがない。
他人を羨んだところで「ああそうですか」程度のもの。
なんの慰めの言葉にもならならい。
芸術とは才能の限界を知り得て初めてスタートラインに立てる。
限界を知るには自分から逃げないことが肝心になる。
それが下準備であり、限界を知らないことには一歩も始まらない。
だから限界を知るために修行時代は必要だし、若くて損はない。
そこで、若くないからと逃げる人がいる。言い訳は逃げだ。
その時点で芸術から遠い存在となる。
人はしばしば忘れがちだけれども、若さは必ずしも利点だけではない。
むしろ欠点が多い。
老いは視野を広げ、視点をえ、何より体感を得ているのが大きい。
若さよりも遥かに短距離で的をえることが出来るだろう。
修行と考えた際に、過去の規範である名画、銘石、名曲には重要な意味が出る。
それらを簡単に再現出来ればいいだろうがほとんどは出来ない。
何故なら彼らは天才だからだ。
出来なければそこで限界を知ることが出来る。どこまで出来て、どこまで出来ないのか。
落とし所は知る日々が続くだろう。そして搾りこめる。
あっさり出来た人を他人様はその背景を知らず実に簡単に羨むが、それは不幸なことでもある。
何故なら限界を知り得ないなら、自分で探さなくていけない。
自分で探すということは天才業である。
つまり天才とは孤独であり、道を切り開くものとも言える。
世間では規範なく自由に探すことがさながら恵みであるかのように言うがそれは違う。
凡人が天才の道を歩くことは出来ない。それは不幸なことである。
己を知らないということでもある。
天才であるが故に、ともすれば自分の限界を探すだけで一生を終える人もいる。
それはスタートラインにつけず時間切れを意味する。
そういった作品は当然優れたものであるが、芸術かと問われると話は別だ。
違うと言える。
それは本人が一番よく知っているだろう。
あっさり限界がしれた人はその点で幸福である。
修行時代に入るのは若くて損はない。
無茶をしないと限界は把握できないからだ。
大作を書くには物理的な体力がいる。唯一若さの利点はそこにしかない。
体力もまた才能である。
大作をして初めて己を知ることが出来る。
自分の才能が自分のものでしかないように、限界もまた自分のものでしかない。
そもそも一人の才能なんて実に小さなものでしかない。
それが天才といわれるような者であっても同じである。
才能は変えられないが唯一人間としての幅、許容量は変えられる。
その為には、自分以外のものをいかに受け入れるかにかかっている。
相手を受け入れることはどんな人間にでも出来る。
かかる時間や方法は人それぞれで、そこにはやっぱり才能が関わってくるけど。
最終的に受け入れることで許容量は変えられる。
他人の視点をいかに素直に意識を介在せず行動に移すか、うつせるか。
それが唯一誰にでも残されたチャンスだと思う。
その点において人間は平等である。

この話は何回かに分けて師からもたらされたが、
私の人生の中で感動し希望というものを想起させた数少ないテーマのような気がします。

2013年1月11日金曜日

野尻泰煌:第52回 日書学展


第52回 日書学展

会 期: 2013年1月12日(土)~17日(木)
    午前9:30~午後5:30
   (最終日は午後3:00まで)
会 場: 東京都美術館(台東区上野公園8-36)
入場料:300円

http://www.nissyogaku.com/menu/tenrankai.html


2012年12月5日水曜日

武田邦彦:「物」が豊かになると「芸術」は衰えるか?

2012.11.30fr
「物」が豊かになると「芸術」は衰えるか?武田邦彦
※サイトが凄く重いことが多くなったように思うので全文引用。

http://takedanet.com/2012/12/post_b925.html
(全文引用)

芸術は心の叫びであり、人間そのものであり、私たちが長く尊敬してきた活動でもある。「芸術家」というのは一見、世離れしているけれど、音楽にしても映画や絵画にしても私たちの心を強く打ち、感動をもたらすものである。
今、音楽に親しもうとすると、クラシックは遙か昔に消え去り、ジャズ、シャンソン、タンゴ、歌謡曲も聴かなくなった。ルノアール、ゴッホから横山大観まで絵画も死に、トルストイや夏目漱石も遠い昔になった。
オーケストラもマニア向けになり、ピアノの音がうるさいという苦情も聞かなくなった。バイオリンもフルートもさっぱり忘れた。藤間流、西川流、勅使河原、裏千家はどうなったのだろうか? 聞くと言えば一流の建築家と女優の結婚などの世話話だけである。
長谷川一夫、岸恵子、そして外国にはリチャード・ウィドマークやクリスチーネ・カウフマン・・・銀幕を飾る多くのスタート、心から感動させる映画が日常生活の友人との話に出てきたし、年齢を超えて共通の話題になった。
・・・・・・・・・
日本人の生活から芸術が消え去った理由は「豊かになったから」と言われる。でも、芸術は「心の叫び」であり、それがなぜ「豊かになった」と言うことと関係しているのだろうか? ショパンは貴族のサロンで即興曲を弾いてご婦人を喜ばせ、あの絢爛豪華な安土城や大阪城のふすまを飾ったのは狩野永徳だった。芸術は生活の苦しさからも生まれるが、贅沢からさらに精神的に解放されたものが誕生するのが常である。
もし、日本人がわずかな豊かさを手に入れたから芸術が生活から消え去ったのなら、もともと日本人には「魂の叫び」がなかったのではないかと思う。単に生活が苦しいから、人生が辛いからひとときの安らぎを求めて芸術に走ったというならそれは現実逃避のためのものであり、決して「人間の崇高な精神活動」とは呼べない。
・・・・・・・・・
豊かになったから日本人の人生から芸術が消え去ったのではない。私たちはお金の亡者となり、心を失い、ウソをつき、家畜のように生活をしているからにほかならない。かつて平安時代、貴族とて現代の人より貧しかったかもしれないが、桜、あじさい、そして秋の花の時期に長谷寺を訪れて親しい人の治癒を祈った。
テレビを見ると目的も何も持たない政党が、ほぼ同じことを叫び、完璧にウソをついた政党の党首がまだしゃべっている。新幹線に乗ると「我が社は地球に優しい」という愚劣な宣伝を強制的に見させられる・・・なんということだろう。
明るい生活を送ろうと電灯をつけると叱られる。その理由を聞くと経団連と電力会社を儲けさせなければならないらしい。昼休みに電気をつけて本を読もうとすると課長が来てスイッチを切り、真っ暗になる。「お前はただ黙って働けば良い。本など読む必要は無い」と言う。
暖炉で小説を読み、ピアノを楽しみ、時に美術館に行く。踊りを見ながら食事をし、ゴルフ場の紅葉のすばらしさに感嘆したいけれど、どれもこれも今では人目を忍ばなければならない。タバコは追放されて生気に満ちた顔は見られなくなり、少しでも甘いものを食べようとすると「メタボ!」と注意される。織田作之助はどこにいったのか?
今から20年前から、「節約」によって日本国は2分の1に縮小し、所得は460万円から410万円に下がり、今や国民平均の旅行は1年でわずか1泊二日。「国と国民の生活を悪くするための政治」が続くぐらいなら、国会と霞ヶ関を10年ほど閉鎖して、制約のない自由な人生を送ってみたいものである。
・・・・・・・・・
芸術は心の叫びである。その叫びは金亡者、イジメ体質、ウソつきから生まれることはない。豊かであるか人生が苦しいかではなく、現在の日本に芸術はおろか、精神活動すらなくなってしまったのは、「日本社会自体を喪失した」ことによって芸術は滅びたのだろう。
今日も、私の心はバッシングを恐れて自由に筆も運べない。
(平成24年11月30日)

2012年1月18日水曜日

野尻泰煌:日書学展に行って来ました

15日の日曜日に師と日書学展に伺いました。
拝見させていただき、勉強させていただきました。

第51回 公募 日書学展(併催 全国学生展)
会場:シアター1010ギャラリー(北千住駅西口マルイ11階)
会期:1月13日(金)~17日(火)10時~18時(最終日のみ午後1時入場まで)
主宰:日本書学院
後援:文部科学省、東京都、全日本書道連盟、毎日新聞社、東京新聞

この展示会では師の最新作が1点掲げられておりました。

2012年1月5日木曜日

読売新聞:バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし?


バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし?
読売新聞 1月4日(水)10時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120104-00000304-yom-sci
(引用)
 研究チームは、2010年、米インディアナ州で開かれた国際コンテストに集まった21人のバイオリニストに協力してもらい、楽器がよく見えないよう眼鏡をかけたうえで、18世紀に作られたストラディバリウスや、現代の最高級バイオリンなど計6丁を演奏してもらった。どれが一番いい音か尋ねたところ、安い現代のバイオリンの方が評価が高く、ストラディバリウスなどはむしろ評価が低かった。

アニメ・マンガの広まり

数年前より気にはなっておりましたフランスを代表とするヨーロッパのアニメ、マンガのムーブメント。

今でこそジブリアニメ以外は全くもって見なくなった一般ピーポーの私ですが、小中高校時代の私にとってアニメやマンガはかなり精神形成やある種の倫理観を考えるのに大きな役割を果てしてくれました。しかし正直なところ、「この面白さは日本人にしか理解できないのだろう」と考えていました。

良くも悪くも、まさかここまでの動きに発展するとは思いませんでした。
私は「インターネットの力は絶大だな!」と思っていたのですが、どうやらそれがメインでもないようですね。
以下の映像からフランス等の例にとると、「子供の頃にずっと見ていたため」という刷り込み的な部分もかなりあるように思いました。なのであの独特な感じを把握できたということでしょう。そこへ来て少数民である彼らをインターネットがつなげたということかもしれません。
その上の世代では相変わらずわからないということなのでしょうが、日本でも今の70、80代の親の世代がアニメ、マンガを理解できないのと同じ感じなのでしょうね。

それにしても、色々みていて驚いたのはフランスばかりか、イギリス、イタリア、ポーランド、ベルギーなど。外でも、ロシア、タイ、インドネシア等様々な国でそうしたイベント(しかも、なかなかの集客力)を開催ししていることです。アニメやマンガは実写映画よりもある意味では国境を越えるなーと感じました。何より平和の象徴にとらえられました。

今、国内は暗い話題が多いので、映像を見ながら少し勇気づけられましたね。

フランス人の親日感


2011年12月1日木曜日

野尻泰煌:ホテル日航東京3F回廊にて展示開催



野尻泰煌ギャラリー
愛 ~悠久を語るコトバ~


[場所]ホテル日航東京3F コリドールギャラリー
[会期]12月1日(木)~12月25日(日)
[Web]http://taiko-nojiri.jp/nikko.html

師のギャラリーが本日より展示されるようです。

2011年5月22日日曜日

負けてる

twitterのリフォローはある程度選別してます。
営業トーク全面に押し出してくる場合はパス。
それとURL勧誘型も基本はパス。
ツイートがループしているなーと思った方もリフォローしません。
それと個人の興味とあまりにもかけ離れている場合も。

リフォローした方に中国の方が一人いるのですが、
その画像をみて何時も驚いています。
中国にいらっしゃる画家やアーティスト等を紹介されているのですが・・・
とても技術力が高いのです。それでいてエキセントリック!!
正直なところ、日本人・・・負けてるのでは・・・と思う日々です。

書道でもそうですが、
今の日本は表現にかんしてあまりにも自由や個性を重視しすぎているように思います。
表現というのは、どんな分野であれ技術ありきだと思います。
高い技術の上に自分が結果的にノルものであって、技術が蔑ろにされオリジナリティーだけでは底を見透かされてしまうだけです。
さりとて野尻先生のような方も稀でしょう。
凡人では到底真似できません。
それにしても展示会とか行くとあまりにも次元が低すぎて悲しくなってしまいます。
中国の方のレベルを見ると悲しくなっている場合じゃないと思いました。

「おめーの技術レベルでよく偉そうに言えるな」と言われそうですが・・・

「仰るとおり!!面目ない!!」(笑)
あくまで鑑賞側の眼としての話です。
出す側としての自分は完全に縮み上がって部屋の角で壁を見ています。(汗)
表現側の自分の尻を叩くようにします。

2011年5月11日水曜日

愛書家という存在

ほぼ日刊イトイ新聞
対談「目眩く愛書家の世界」
http://www.1101.com/aramata_hiroshi/index.html
twitterのフォロワーさんの呟きから、なんだろうと読んでみました。
こんな世界があっとは・・・己の無知さに驚きます。
と、同時に凄い世界があるものです。
人生をかけて本を集め、それを次代につなげる愛書家という存在・・・。
そもそも、それらを人生をかけて作った個々の芸術家、表現者達に、それを購入した貴族達・・・。
損得を考えては出来ない世界・・・。

完成されたその本の凄さに恐れ慄くと同時に
その素晴らしさに対し己の矮小さを思うと声も出ません。

2011年5月4日水曜日

GW

5/2は友人のお付き合いで色々でかけました。
まず、上野動物園。パンダが目当てだそうです。

長いことココにおりますが、上野動物園は初めてです。そもそも、動物園じたいが小学校の遠足と家族旅行以来きてません。興味がないんです。檻に閉じ込められている彼らを覗くというのはストレスに思ってました。昔はよく夢に出てきました。自分が熊牧場の檻の中におり、人間が上からまずそうな餌を投げる。実に嫌な夢でした・・・。その感想そのものは変わりませんが、

大人になって初めて行ってみて、「動物園って凄い!!」と感動。(笑) 
大人になって動物園にハマル人は結構多いし、大人動物園は子供と見方が違いとても面白いと噂には随分聞いておりました。「私はないな」と思ってましたが、感動です。人間以外にこれほど多様な生命が地球にいるのか!!と肌で体感できる機会ですね。動物たちには非常に迷惑でしょうが。直に感じるというのは大きい。映像や写真は所詮客観性の存在であり生命を直に感じるとるものではありえません。記録です。ベンガル虎のコーナーに鳴き声が出るボタンがあるのですが、音も同じで、記録された音は記録、資料に過ぎず、生で吠えたらさぞや感動するだろうと思いました。やはり全て直!!直ですね!!
肝心のパンダですが、朝一に行き40分並び拝みました。無難な感想ですが素直に「可愛いね」(笑) しかも可愛いだけじゃない。やっぱり動くと迫力があるんです。熊ですよ、まさに熊。彼が「オラー!」って駆け寄ってきたら「食われる!」と思うでしょうね。重量感が半端ないです。メスは、股や前足、首、胸など後ろ足で器用にポリポリ。雄のリーリーは、寝そべって笹をムシャムシャと食べてました。個人的には像!!像が最高です。なにかわりませんが癒されました。ずーっと眺めていられます。待ち時間込みで4時間ぐらいいたでしょうか。

それから浅草浅草寺へ。
懐かしいです。リーマン時代に得意先があり時々寄って手を合わせてました。映像で見ると広く見えますが、実際はかなり狭いんですよね。雷おこしが欲しいとのことで滞在時間は30分。外国人観光客が驚くほど少ないですが、日本人でごったがえしてましたね。日本人の購買欲求というのは凄いなーと他人ごとのように眺めていました。この時期に来てくれる外国人観光客には心から感謝を述べたいです。話せないのが残念ですが、感謝の念を送っておきました。(-人-

最後にジブリ美術館へ。
ココは昔から行って見たかった施設です。他の美術館にはない着想と、ココでしか観られない短編映画に興味がありました。とはいえ今までは機会がなかなか無い。別に行かなくても困りませんし、子供が行くところという印象もあり大人が雁首揃えて行くのはみっともないのでは?と思っていました。いやいやいや、これは癒される。動物とは違った意味で癒されました。建物は自然と人工物との融和がなされており、絶妙に周囲の建物が見えないように配慮もされて異空間を楽しめる。施設内のカフェでアイスなんぞ外で食べると自然に抱かれた感じをうけます。
どこからでもどうぞ、というような展示構造は実に素晴らしい。何より作品との距離がゼロに近い。あれは相当な勇気である。作品を間近で観れる!!これは凄く大きい。それでいて、いつの間にか、アニメはどうやって作られるか、いかに高度な技術と多大なる労力によって作品が出来ているか自然と知ることができ作品への興味も強まると思う。後は広さかな。倍ぐらいの大きさが欲しい。

迂闊だったのは映画が観れなかったこと。閉館時間を見誤ってました。アイス食べてる場合じゃなかったなー。でも、これでまた行く気が湧いたので次の機会にでも行ってみたいです。丹波黒豆ジェラート380円美味しかったなぁ。麦茶が80円なのも良心的。16時の回は時間が2時間しかないのでそれより前がおすすめです。

2011年4月25日月曜日

スペインの凄み

スペインというと、最近連絡のつかない友人がフラメンコを情熱的に好きでした。
それ以外では野尻先生でしょうか。永久無審査会員に選ぶなど芸術に関する姿勢は日本の比ではありません。
それ以外はというと、真夏に日中50度を越す気温や、凄くいい加減とか、経済的に貧しいという印象しかありませんでした。
これは圧倒される…バルセロナを見下ろした風景に世界中から驚きの声
http://labaq.com/archives/51656513.html
これは凄い!!!
正直いってCGアートかと思ってしまいました。
これ、現実なんですね!!!
なんという凄い!!なんと素晴らしい・・・。凄い!!凄い!!凄い!!
スペイン人の底力を見たようなきがしました。
こういうスケールの大きさは昔から日本には皆無に思います。
東北北関東が復興のターンに入った際は、
是非こうした街の設計から取り組むべき機会だと思います。

そして、こちらもスペイン。
同じスペインでも大違いですが、
ある意味ではこちらもスケールの大きさを感じさせてくれます。
思ったよりやばい…スペイン「トマト祭り」の過激な写真18枚
http://labaq.com/archives/51501552.html
マジですかw
1時間でコレって凄すぎます。
写真だけでお腹一杯です。
でも羨ましいですね。
今の神経質な日本では考えられません。
ここまでしなくても、日本は色々もう少し柔和になった方がいいと思います。

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