2014年3月5日水曜日

大浮世絵展

終了しましたが先日本展に行って参りました。

時代順に展示されていると、いかに葛飾北斎が異彩であるかが伺えました。
幾つかカタログにある絵が無かったのは残念でした。
見逃したのかな?
葛飾北斎を見て天才はある日突然に生ずるものであって育むものではないものだと改めて実感しました。


系譜というのが見えるものですが北斎だけはまるで似て非なるもののようです。
異質そのものに感じました。
彼の作品を前にするとまるで自分がその場に居合わせたかのようなリアリティを感じてしまいます。
まるで彼と同じ景色を見ているかのようです。

広重は映画的な印象で構図や色彩バランスの妙技といいましょうか実に美しく現代に通ずるものを感じます。
あれほど好きだった広重よりも時間をかけてみたのは喜多川歌麿でしょうか。
浮世絵の開祖的なものを感じつつも浮世絵のもつ魅力といいますか、日本人の美的感覚の元が伝わってくるようです。

表情のなさに表情をえがき、一見すると不自然な型通りに見える動作に心情を描き、描かないところに描く妙技といいいますか、言わば象徴表現を感じます。あくまで全体を通して作品の訴えが滲み出てくると言えばいいでしょうか。それそものでは語らず、言い換えれば読後感で語る。そのように自得。

私は浮世絵では葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿に特に惹かれるのですが、
年齢とともに変わるもので、学生時代までは広重、北斎、社会人以後は北斎、歌麿という感じに変化しました。学生時代の私には喜多川歌麿の絵は抽象的に感じ、妙な居心地の悪さを感じつつも、見ないではいらんれないものを抱えました。「書」を通し喜多川歌麿の魅力を感じるようになったのかもしれません。歌川国芳には漫画の原点を見た気分を自得します。それぞれの語り口があって実に豊かな時間を過ごせました。

北斎漫画に黒山の人だかりで近くで十二分に見ることが出来ませんでしたが、浮世絵作品とは一線を画した表情があり好きです。北斎自身もかなり楽しんで書かれたのではなかろうか?その絵のもつ雰囲気から感じました。亡くなる寸前まで北斎漫画は描かれていたそうでその情熱というか「描きたい」という素直な欲求、才能には感動をおぼえます。

よく見るといちぶ傷んだ箇所なども見られ(穴があいている)、かなり保存は大変でしょう。こうして当たり前のように見れるのも保存に携わった歴代の方々のお陰です。