2012年1月18日水曜日

野尻泰煌:日書学展に行って来ました

15日の日曜日に師と日書学展に伺いました。
拝見させていただき、勉強させていただきました。

第51回 公募 日書学展(併催 全国学生展)
会場:シアター1010ギャラリー(北千住駅西口マルイ11階)
会期:1月13日(金)~17日(火)10時~18時(最終日のみ午後1時入場まで)
主宰:日本書学院
後援:文部科学省、東京都、全日本書道連盟、毎日新聞社、東京新聞

この展示会では師の最新作が1点掲げられておりました。
何気に楽しみにしてました。
師は日書学展で毎年挑戦的な作品を出す傾向にあるからです。
ホテル日航東京に掲げられたあのシリーズの初となる作品を掲げたのも6,7年前の日書学展でした。

会場に入ってすぐ「あれが僕の作品だよ。どうだい?」と、
師はまだ目視もできていない私に向かって感想を尋ねられました。
ようやく気づいた私はギョっとしてしまいます。
「”底がしれない”という言葉の”しれない”とは、こういうことなのか」と、驚いたからです。
私は黙りこんで師の発言を聞いていなかったかのように凝視しました。
感想を言えるほどの言葉がまとまりません。
「ねえ?どう」と師が催促するので、
辛うじて私は「なんですかこれは・・・」と、聞く人が聞けば失礼な言い方と知りながら言いました。
先生であればその言葉を誤解しないで汲み取っていただけると思ったからです。
師は会場にこられた関係者の方に気づき、ご挨拶を交わし、しばし談笑へ。

これをチャンスとばかりに
寄っては引いて、
引いては寄ってを繰り返し凝視。
遠くから、間近から、作品に目を凝らし鑑賞させていただく。
10分ほどそんなことを繰り返したでしょうか、
「そういうことか!」と得心がいきました。

それから他の方々の作品も拝見させて頂きます。
ある作品に目を奪われしばし足がとまりました。
会場の中でも圧倒的にハゼタ精神性が表出されているのを感じました。
作品から伝わる気迫。
内包するのではなく、全身全霊をもって惜しげも無く外へ放出。
鬼気迫るような魂の叫び。
「すごい」思わず一人呟きます。

作者名やタイトルは気になった作品だけ
鑑賞後に拝見させていただくのですが、
作者名を見て痺れました。
そして目頭があつくなりました。

(ここまで気力というのは作品に宿るものなのか・・・)

そう思ったからです。
普段の自分の素行を振り返り些か恥じました。
その先生の状況は先日師から伺っていました。
師もいたく心配されております。

もう一つの作品は異なる意味で目に止まりました。
私も縁のある方でした。
当初はその先生の元に弟子入りする可能性がありました。
最初の師は悩まれた末に野尻先生の元へ転籍を申し出て下さり今に至ります。
ご縁とは実に不思議なものです。
私はその方の父君の作品も存じあげておりました。
複雑な心境で作品を鑑賞いたしました。

少しすると
「もういいでしょ、帰ろう」と
師に声をかけられたので次なる移動先へ。

会場を出てすぐ先生は、
「それで、僕の作品はどうだった?」と聞いてこられたので、
しばし黙りこみ、整理した上で全てを正直に話しました。

「批評をする時は自分のことは一旦横へおいて置かなければいけないよ。
書けないから言えないなんていうのは”逃げ”でしかない。
いい意味で無責任になるんだ。
ただし自分の感想を正直に言えないようなら黙っておいたほうがいい。
ましてやウソやおためごかし(お世辞)を言うくらいなら尚更だね。害でしかないから。
わからないなら”わからない”というのが正直だ。
自分の何が正直な感想かすらわからないようなら別だけど君は違うでしょ。
わかってるって顔をしているよ。
で、ご感想は?」

師は常日頃から私にこう語り続けました。

今だからこそ理解できますが、
感想は正直な方が自分の勉強にもなります。
師から「まるでわかってないねぇ」と言われれば、
それはそれで勉強になるんですね。
「まるでわかっていない」ということがわかりますし。
客観性が得られます。
「わかっていないことがわかる」これが全ての始まりのように今は感じます。

師は私の感想を最後まで口を挟まず黙って聞き続けました。
「以上が今思いつく感想の全てです」と応えると、
「よくわかったねー!100点満点の回答だよ!!」と。
弟子入りして15年以上過ぎますが初めての経験。
いやぁー一安心しました。
少しは目が冴えてきたのかな。

師は、今作が自分の考える世界最先端の書であり、
自分にとっての大きなテーマとなる作品であるむねも教えてくれました。