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2011年11月30日水曜日

MANTANWEB:<電撃文庫>カリスマ編集者が東大駒場祭で講演 マルチメディア成功の秘密語る

<電撃文庫>カリスマ編集者が東大駒場祭で講演 マルチメディア成功の秘密語る
http://news.nicovideo.jp/watch/nw153507?marquee
(引用)

 講演の前半では、自身の体験を基に、主にライトノベル業界の現状、編集者としての仕事内容、メディアミックスの取り組みを説明した。三木さんは「(多くの娯楽作品が)ユーザーの時間を奪い合う中、コンセプトを明確に訴えるアプローチが成功する」などと話した。
後半は「アクセル・ワールド」を手掛けるワーナー・エンターテイメント・ジャパンの中山信宏さんと、「ソードアート・オンライン」担当のアニプレックスの柏田真一郎さんの両プロデューサーが登場。中山さんは「アニメにはお金がかかり、2クール(6カ月)だと3億円。成功すればみんなの手柄だが、失敗すればプロデューサーの責任なので、肝に銘じてやっている」と並々ならぬ覚悟を明かしていた。

(私見)

最近になりネットでアニメを見だした私です。

マスコミが伝えるニュースが嘘ばかりなのと、
面白いと思える番組が皆無になってきたのと、
DVDでレンタルする映画があまりにも面白くなくて、
フラストレーションが増大してきたためです。

ふと、「今の若い人達が見るアニメってどうなんだろう?」と気になり見出しました。
アニメには世代のスピリッツが如実に反映されます。
20タイトルぐらい手を出してみて感じたのは、

”スケールが小さい”
”魂の燃焼が感じられない”
”視聴者をバカにしているのか?ってぐらい内容が単純”
”登場人物の9割以上が女性、しかも低年齢”

というものでした。これは現代のあらゆる表現に相当な部分で共通しているように思います。
スケールは社会的上昇気流に無意識に影響されるので当然なのでしょう。
そもそもスケールは大きい必要もありません。
ただ、これほどスケールの小さい作品が集まった時期もこの60年でないと感じます。

内容が単純なのは、視聴者の理解力が低下しているためでしょう。
恐らく文学作品などを読んでもチンプンカンプンだと思います。
私はこの歳になって文学作品の奥深さに慄いています。
当時はよくわからない作品も少くありませんでした。
私の親たちの世代はそれを学生時代にかなり把握していたのですから、
親たちの世代から私も同様に理解力が低下していたのです。
そこから更に低下しただけなので、他人のことを言えません。
ただ言えるのは、低下し続けているのは事実でそれは大人達の責任であるということです。
理解力というのはちょっとやそっとでつくものではなく、訓練の積み重ねでしか獲得できません。

女性が9割以上には驚きました。
とにかく男がいない。
これも社会の現状を如実に表しています。
社会における男性の存在感が希薄になっている表れでしょう。
その様相はハーレムというより不気味なものを感じてしまいました。

この中で問題だと思ったのは、
魂の燃焼が感じられないことでした、

ムダな熱意に無駄はありません。
真っ直ぐさこそが、愚直さこそが、世界を変えるのだと思います。
事実そうでした。過去の歴史が物語ります。
学者の口弁なんていつの時代も後付に等しいものです。
特に作品づくりにおいては理屈は本来いらないものです。

「作りたいから作った」

そこには正体不明の熱意しかありません。
それが全く感じられないのです。これには背筋が寒くなりました。
そして構造的に出来ている。もしくは、構造的に作ろうとして破綻している。
理論的な考えや、生真面目さは時として世界をより破滅へと導きます。(別エントリーにて)
制作者側に必要なのは圧倒的な熱意の問題です。

「世間に受け入れようが時代錯誤だろうが俺はこれを世に問いたい」これです。

こうした思いの消失は精神的氷河期を思わせます。
その責任はやはり大人達にあるとみて間違いないでしょう。

ヒット作を中心にことごとく見ましたが、
面白いと思わず見入ってしまった作品は1タイトルだけ。
やはり”スケールは小さい”のですが、
とても丁寧に作られており、制作者側の愛着が強く感じられました。
本来”スケールが小さい”と見た目の誤魔化しが効かなくなるためより難しくなるように思います。
熱意なくしては面白く作るのは無理と思えますが、やけに癖になる面白さ。
今では次回のネット放送が楽しみになってしまいました。

それでも正直なところ、ドラマはバラエティ番組、映画を見るよりマシに思えてしまいました。
今の映画は完全にマニュアル化された印象を受け、
全く異なるテーマ、ジャンルにも関わらず同じ映画をみている印象になります。
「あれ?これ見たかな?」と錯覚をおぼえます。

魂の燃焼がない作品は消費されるだけです。

この記事を読み、「なるほど。だからか」と思いった点は、
システム化された作品だということです。
(原作者は必ずしもそうではないということを匂わせる発言には安心しましたが)
原作と媒体が違う以上、原作者は製作者にとやかく口幅ったいことは言わず、
委ねるの一番のように思います。
原作を越えることもありますしね。
多くの人が口を出し、それに左右された作品ほど空虚なものはありません。
「この作品のつまらなさは誰が責任をとるのだ?」と問いかけたくなります。
東電と同じで誰も責任をとらないでしょう。
それは誰も納得していないからです。
読者も、視聴者も、原作者も、製作者も、スポンサーも誰も納得せずに進まれた作品は哀れなものです。

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