2011年1月5日水曜日

老いと生

正月に実家に帰り両親の顔をみて、
自らを鏡にうつし、
「老いたなぁ」と思う。

親ばかりに目が行きがちだが、実際は自分も順調に老いている。生命の歩みに例外はない。
それは寂しさを感じぜずにおれない。
しかしその一方で、メキメキと育つ甥ら。
頼もしく、嬉しく思う。
表裏一体なのだと思った。
だから、爺婆と子供らは一緒がいいのだろう。
バランスがとれる。
親は中間管理職的立場においやられて大変だがそれが役目である。
本来なら一番体力的にも精神的にももっとも充実している筈のポジションだ。
しかし、
今の親は、私の代はそれを出来るだけでの時間的余裕、肉体的余裕、精神的余裕、金銭的余裕がないように思う。
全てがないようでは立ち回れる筈もない。自滅であり、自滅は即全滅の引き金になる。
全てが用意されている人も昔からほとんどいないが、全てがないようでは補うことは出来ないだろう。
大変な時代なのだ。

今年の両親はとても良好で、去年一昨年のような痛々しい姿はなかった。

父は84(3月で85!!)にして、動く時はてきぱきと動けるし、横になってじっとする時はじっとし、うつらうつら船を漕ぐ。起きていられる時間はそう長くはないようだ。
運転時の反応速度は私より機敏なぐらいなので驚くが、随分耳が遠くなった。それは「もう聞かなくていいよ」という合図が徐々に近付いているのかもしれない。いずれ更に耳が遠くなり、目も遠くなり、聞く、見る、時間が制限され、様々なことが気にならなくなり、社会から、家族から遠くの存在になり、思索に耽る時間が多くなり、最後には思索もしなくなり元の場所に戻るのかもしれない。私の書の最初の師匠はそういう世界に行ってしまわれた。もう、旧知の友人すらわからない状況だと年賀状で知り、瞬間血の気がひき胸が引き裂かれそうになる。でも、「それでいいんだ」と気を取り直す。それでもあの頃を思い、数瞬涙せずにはいられなかった。

母も膝、腰の痛みからびっこをひいていた儘ならない状況から脱した。
何をするにも「痛い」「おっくう」と言って、人にお願いするにしても「あー痛い!もーやって!!」と常にキレ気味に言っていたのが、「あ、ついでにお願い」と言い方も変わる。安心する一方、それは一時、一面でしかないという事実をよくわかっている。母は思索に忙しく父より瞬間を捉える力が鈍っている気がするが、それはそれで母らしい気がする。最初は「ま、まさか、ボケ!??」と思うほどよく忘れたが、自分の関心が強い事項はよく覚えているので、そうではなくて安心した。
母は携帯の操作を何回も聞いてくる。それを初めて聞いたように1から教える。昔の私なら「何十回同じことを聞いてくるの?」と思いイライラしたものだが、「忘れるものは仕方がない。好きで忘れているわけじゃない」と思い教えることにしている。
「ハードディスクビデオのとり方が何回聞いてもわからないし、データがなくなるとお父さんが怒るので怖くて触れないから、ボタン一つで録れるのないの?」
と聞かれたが、残念ながらない。使い方を誤れば、いとも簡単にデータは壊れる。私でさえ、一瞬戸惑うぐらいで、ある部分ではPCより厄介だ。
「そんなビデオはもうない!」と笑った応えたが、怪訝な母の表情をみて、
「自分用に買って、いざ壊れもいいじゃない。見れなくなったら見れなくなったで、また最初から録ればいいじゃない」と言う。
母はもう関心がないようだった。「振り返っている時間はそうないよ」と言いそうになったが、それは止めた。誤解されるかだろう。母へはマイナスな思考は出来るだけ排除しようと気をつける。母はマイナスをついひろいがちで、不眠症だ。父は口からマイナス連射する割に実際の部分では毛ほども気にしていないと思う。だからこそ連射できるのだ。

振り返っている時間は案外ないものだとつくづく思う。
命は老いる。
そして子や孫に受け継がれ永久に生きるのかもしれない。
恐れていても始まらない。いずれかは誰しも終える。
今この一瞬の笑顔を共有できればそれは心の蓄えになるだろう。
そうした歩みが今年は出来ればと思う。
それにしても親とはつくづくありがたいものだ。

足りない部分は補うしか無いが、
結局は宿命で決まる側面は否定できない。
それでも、とりあえず横へおいておいて、やれることをやるのみだろう。