2011年2月18日金曜日

発信者側のつとめ

最近は暇さえあれば年がら年中みてるサイトがあります。
ニコニコ動画 です。
YouTube は広範囲の情報を収集するには良いのですが、
製作者側の意図に反すると削除対応もはやく、馬鹿馬鹿しい動画をひろうには厳しい面もあります。
それらが手軽に拾える感じは ニコ動 いいですね。
ただし ニコ動 を鑑賞するにはこちら側のリテラシー(読み書きの能力)が欠かせません。
生放送も着実に一定の成果をおさめていると感じます。

それにしてもいやはや皆さん凄い!!
まったくもってお金をかけずとも娯楽に不足ない時代です。
逆に娯楽が多すぎて、自ら絞る必要性を未だ嘗て無いほどに強く感じています。
目を中心としただけの娯楽が現代はあまりに溢れているためです。
肉体のズレは著しいことこの上なく、自分自身に恐怖すら感じます。
私はこうしたサービスを特に否定するつもりはありません。
選ぶ側が選ぶ意思をもつことが肝心なだけだと思います。

さて、そこである動画をみつけました。
それはゲームのプレイ動画なのですが、私も関与したことがあるタイトルでした。
私が在職中に最も印象に残っているタイトルです。
退職後もその作品をあんじ何度も手にとり眺めました。

開発中にこのゲームを見せて頂いた時、
「こりゃアカン!!」
と背筋がピンとなるほどの衝撃をうけ、売れないことを確信しました。
しかし、売れないでは済まされない大人の事情がありました。
ない時間を無理矢理工面し色々と提案もさせて頂きましたが様々な大人の事情でそれらは全て却下。
東奔西走しあらゆる努力を惜しみませんでしたが、結果は当初の予想通り。
いや、それ以下でした。
私は無力感に苛まれました。

たんなる普通の1本なら「仕方ないね」で済むのですが、
この作品には優れた点がいくつかありました。
・音楽
・物語
・CGムービー
・劇中芝居
何よりズバ抜けていたのが 劇中芝居 です。
当時の開発会社や販売会社はその技術力を全面的にアピールしましたが、
それは今思えば無意味なことでした。

プレイヤーからすれば技術はある意味では関係がないのです。
その技術の結果どうなのか、その一点だけが重要です。
技術に唸ったり、それで様々なネットワークの裾野が広がるのは関係者に対してです。
プレイする側ではないと思います。
これは書(しょ)も同じように言えます。
どれほど豊富な知識があろうと、
高い技術や道具があろうと、
体現するための一つの手段に過ぎません。
どんなに技術が素晴らしくても空虚なものであればそれまでです。
それすらも超えるような超越的技術であればまた別次元なのでしょうが、
そうであっても最後はそこではないように感じます。

私は芝居をやっていました。(今思い出しても空前絶後の下手さでしたが)(;・∀・)
その劇中芝居はまさに「良質な芝居」そのものだと衝撃をうけ胸を震わせたのです。
舞台で繰り広げられる芝居を、
時には2階の前列中央から観劇しているような、
別なシーンでは1階最前列のがぶり寄りで見ているかのようなカメラワークもありました。
何より演じ手の芝居はまさに舞台そのもので(実際後で知りましたが舞台俳優でした)、
映像向けの芝居ではありませんでした。

ただそれだけなら別にどうということないのですが、
役者がまた実にうまいこと!!舞台を心得ている動きです。
(当然であり、プロに対して失礼ですが・・)
台詞回しも大変素晴らしい!!
何せゲームのムービーです。
限られた短い時間に急がず慌てずさりとて過不足なくする為に練に練られたものに感じました。
相まって物語の濃密さ、悲劇性がますます高めていました。そもそもが複数の実話がベースになっているため、そこに嘘臭さがありません。欲を言えば、エッセンスを消化しただけで、本来すべき昇華までは至っていない感じは受けましたが、
様々な事情を考えるに致し方がないでしょう。

決定的に啀み合う3人が徐々に打ち解けていく様が見事に芝居で表現されています。
それは役者さんの演技力の賜物です。
いまでも特に物語の終盤である司祭の慟哭と主人公の独白は涙せずにはいられません。
私も彼らのような壮絶さこそありませんでしたが、少なからず心当たりがありました。(笑)
コメントに
「2を!」とか
「○○よりずっと好き!」
「クソゲーだけど・・・最高傑作!」
「ムービーなげー・・・でも見入っちゃう」というようなものが流れると
我がことのように嬉しかったです。

何せマイナーな作品でした。
ユーザーの手に渡った本数を思うと動画ないだろうと思っていました。
現に長い間ありませんでした。
万が一あっても、
「あれは理解されないだろう。何せゲームとしてはとにかく酷い仕上がりだから」と考えていただけに、
あの作品だけがもつ良さ、持ち味を理解された人がいらしたというだけで胸を撫で下ろしています。
「ゲームより映画化を!」といったようなものもありましたが、
映画もありですが、寧ろ近道は「舞台作品」だと思います。
どのみちゲームじゃないんですよね。(笑)

今後このような作品は余程のことがない限り出ないとでしょう。
出るはずもありません。
あの作品は当初より明らかに時代のあだ花でした。
贅沢なものです。
贅沢だからこそ出来たものだった考えます。
その自由さ、
自在さにある種独特な魅力を感じます。

コメントを読んでいくうちに、
「発信する側には発信する側の責任がある」と強く感じました。
特にああした作品は多くの人々には支持されませんが、共鳴する人には痛烈な執着心を呼び起こします。
あの作品に限らず、発信者側は支持して下さった方への責任があるように感じました。
(あの作品そのものは1で完結しております)
自らが中途半端にほたり捨てた数々の作品が頭に浮かびました。

「手を出したら終いまでやる」
これが何であれ発信者側の最低限のマナーであるのかもしれない。
そんなことを思った数日でした。