2011年5月8日日曜日

社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家




社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家

福島原発の事故が起こって、わたくしがびっくりしたことの一つに、放射線医学もしくは防御の専門家が、これ程大きくその考え(および発言)を変えるとは思っていなかったことです。
わたくしは、原子力の燃料を研究し始めた若い頃、放射線の仕事をする限りは、放射線と身体のことをよく勉強しておかなければいけないと思い、第1種放射線取扱主任者という試験を受け、免状をもらいました。
この資格は、放射線を取り扱う専門家にとっては、最もレベルの高い資格で放射線を取り扱うところは、必ずこの資格を持った人がいなければいけないことになっています。
でもわたくしは、放射線と人体の関係を「研究する」という意味では、専門家ではありません。わたくしはあくまでも原子力関係の専門家であり、その仕事をするに必要なものとして放射線取扱主任者の試験を受けたのです。
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わたくしは、福島原発事故が起こってから「1年に100ミリシーベルトまでは大丈夫だ」と言っている「その人たち」に、長い間、真逆のこと、つまり「1年に1ミリシーベルト以上は危ない」と教えられてきたのです。
放射線医学の専門家は、自信を持って次のように話してくれました。
「放射線による人体の障害は2種類あって、100ミリシーベルト以上では、放射線に被爆した人に何らかの障害が出る。明らかに出るのは250ミリシーベルト程度である。
これに対して100ミリシーベルト以下の被爆では、確率論的に患者が発生する。確率論的とは1人の人が被爆したから、その人が発症するというのではなく、10万人の集団が被曝すると、その中から確率的にある数の患者が出るということである。
確率論的に患者が出るかどうかということについては、長く議論されてきたが、1990年の ICRP の勧告以来、国際的には確立しており、日本の法律もすべてそれに準拠している。
放射線では確率論的に患者が発生するということを頭に叩きこんでおかなければならない
。」
わたくしにこのように教えてくれた先生がたは、福島原発の事故が起こると突然、態度を翻し、
「武田は専門家でもないのに、いい加減なこと言って人心を惑わしている」
と言い出したのです。
わたくしは年でもあるので、わたくし自身が批判されることについては全く気にしていませんが、とにかくビックリしました。
そして、この発言が多くの人を惑わし、また政府の政策を狂わせた原因にもなっています。
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もしも放射線の専門家が20年間にわたってわたくしに教えてくれたことをそのまま社会に発信していたならば、政府は「1年に1ミリ以上は危険である」という国際基準と国内法を守る政策を採ったでしょう。
それはとてもすっきりしているので、1年1ミリ以上になる可能性のあるところには、政府が数1000台のバスを手配して(ソ連がそうだった)避難することができたでしょうし、多くの人は一つの基準を守って安全な生活をすることができたと思うからです。
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多くの放射線医学の専門家や放射線防護に携わっている人が真面目な人であるということは、わたくしはよく知っています。
だからこそわたくしは驚いています。
確かに個人的には、確率論的な患者の発生に対して批判的な学者もいましたけれども、全体としては完全に一致していたのです。
その一つの証拠として、わたくしのところに放射線医学の専門医になるための国家試験問題を送ってくれた医師の先生がおられます.
国家試験では「確率論的に患者が発生する」ということが正解である問題が毎年のように出ていたこと示していました。
国家試験に出るような確実な問題なので、それを福島原発の事故が起こったからといって、急に180度転換するというのは極めて奇妙なことです。
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今からでも遅くはありません。
放射線医学もしくは放射線防護の学会や研究会は多くあります。
できるだけ早く臨時大会を開き、「確率論的に患者が出るということを否定する」のか、もしくは「従来の立場を貫く」のか、その理由は何か、それを社会に発信しなければなりません。
社会はこの関係の専門家の発言のために、大きく揺れ、また被爆者を出すことになりました。
早く「専門家集団としての見解」を明らかにして欲しいと思っています。
(平成23年5月7日 午前11時 執筆)

武田邦彦



環境学者の武田邦彦氏のサイトより全文引用。(以下原文サイト)
http://takedanet.com/2011/05/post_308e.html
※原文では数字がダブってしまっていたり、読みにくいので引用可ともあるし全文掲載しました。

「おー・・・ゴーッド・・・・」
信者でも無いのに思わず口に出た。

恐ろしい。
正直学者が恐ろしい。
これだから学者は恐ろしい。
いや、厳密にいえば「弱き心の人間」は恐ろしい。

私が幼少児、慢性鼻炎で通院している時も、思春期にある日アトピーと突然告げられた時もそうでした。それまでの話を一切合切根底から覆し、高圧的な態度で「とにかくこれを塗れ」と問答無用です。それで本質的な意味で治ればまだ救いがありますが、結局は治りませんから。でも、彼らは治るといい、強い薬をわたし、治りが悪いと苛立ちを隠そうともせず「ちゃんと塗ってる?」と良い、「塗ってます」と言うと、「塗り方が悪い」と難癖をつけ、塗る量が少ないと言ったかと思うと、今度は「塗りすぎて皮膚が薄くなってるでしょ」という。信用を失うには充分な時間が過ぎました。

しかし、それを大人たちに言えば「素人のお前に何がわかる?あん?」と愚弄され、日頃の節度がどうだとか非難された挙句に、終いには人格否定からの人生否定のスーパーコンボでトドメ。喧嘩しかおきない。挙句に最後は誰もが何も見なかった、最初から知らなかった、そもそもなかったかのように振る舞いだす。以前は本当に心から深く傷ついたものです。

色々と本を読み、実体験から総合すると、こうした周囲の反応は、トドのつまりは「己の無力さを甘受できずにストレスがたまったが故の精神的防衛反応」なので、今では「それはそれで可哀想だ」と思ってます。迷惑な話ですが仕方がないですね。行き詰まった結果ですから。弱さ故です。ここに出てくる武田邦彦氏の先生方も恐怖で歪んでいるのでしょう。迷惑な話ですが。専門家とて人の子です。専門家なんて一定の枠内でこそ堂々とされてますが、枠が外れた日には既成概念が強いぶん一般の我々より打たれ弱いでしょう。「そんなはずはない」のスパイラルですから。だから、彼らが平時に言っていることの方が正しいのでしょう。武田邦彦氏のような方は、個性としてたまたま柔軟な性格的資質をもっていたに過ぎないように思います。こういう方が居てくれると本当にありがたいです。

こうした方々はまず自分の心にトゲが刺さっている。そしてそれに気づいていない。刺さっている人は当事者を困らせることばかり言います。自分のどうにも抜けないトゲが痛いから、自分のために、ストレス代償行為として一層攻撃性が上がるんです。ネットでやたら過剰に反応する人、過激な口撃をする方は全て当てはまると私は思ってます。私がこうして書いている行為もそうです。やはりどこか不安なのでしょう。自分のトゲが痛くて仕方がないのです。それはそれでとても可哀想なことです。当事者からすれば非常に迷惑な話ですが、当人は自分のトゲが痛くて、当事者の見えるトゲの痛みには気が向きません。見えないトゲの方が当人にとっては恐ろしいからです。

人間にとって最大の精神的不安、ストレス指数MAXなのは「自分では何も出来ない、もしくは出来ないと思っている無力的状況下であり、それを甘受できない心」のようです。なので震災、原発であまり周囲の人は自らを咎めない方がよいです。その状態が一番誰にとってもよくないですから。こうして日々生きているだけで、役にたっている!と頭を切り替え(事実、本当そうですし!)、被害者のことを頭の片隅に残す。(これが心であり、これを出来ない人は、その隙間すらもない) 最後には甘受するしかありません。出来ないことは出来ないのですから。誰かれは何をやっているとか関係ありません。それは、その人が出来るからやっているのであって、今自分がそれをしていないのは出来ないからしていないに過ぎないと私は思います。結果はどうあれ覚悟を決めて甘受するしかありません。

起きたことは無かったことには出来ません。甘受するしかないでしょう。日々出来ること、したいをするしか出来ません。「もし」は現実にはありません。私は何度か交通事故に巻き込まれた体験からそれを少し学びました。「あー・・あそこで、戻っていれば」「あそこで立ち止まれば」「あそこで・・あそこで、あそこで、あそこで・・・」そのストレスたるや思い出したくもありません。全くの無意味でしたし、何より余計に辛くなるだけでした。

そうだ、よく野尻先生はこう言ってました。
出来ると思っているから傲慢なんだよ。だから悩むしストレスになる。僕はストレスはないよ。それは自分なんて大したことないがないことをことのほか知っているから。だからマッちゃんにも申し訳ないけどアレコレ頼まざるおえない。私は出来ないんだから。出来ないと思うんじゃない。出来ないんだよ。今してないということは出来ないということ。それ以上でも以下でもない。その上であるがままを受け入れるしかない。
ここまでいければ本当に自由だろうなぁ。