2011年5月21日土曜日

(映画)第9地区

ちょっとシチュエーションが似ているかな?
ということで、震災直前にDVDをゲットしたにも関わらず恐ろしくて観れませんでした。
ようやく観れましたが、前半はドキドキでやっぱり観てて落ち着きませんでした。
以下、ネタバレ込みの感想です。


結局は宇宙人の方が良心があることに驚愕!!
でも、「そうだよなぁ・・・」って納得してしまいました。
民主主義の化けの皮を見てしまったよう思います。

あそこに出ている宇宙人はまさに日々被爆に晒されている我々そのものであり、
MNUは政府や東電そのものに見えました。
彼らからすれば、ヤルと決めたことを手を変え品を変えヤルだけなのです。
結局はヤルんです。
それが我々のためにはならなくてもヤルんです。
映画では、
エイリアンの兵器と母船というリーサル・ウェポンがありました。
ある程度の数を圧倒できる武器です。

みながら私は考えてしまいました。
今の我々日本人には何があろうだろうか?

映画の中でも描かれてますが、
デモや、ましてや実力行使は、実質無意味なのかもしれません。
すくなくともこれらには最低限の大きさが必要です。
この場合10万人以上のスケールでしょうか。渋谷のデモ行進をみて思ったのですが、少なくても2,3万人ではないと思います。それは制御できてしまうからです。相手にとって制御できないスケールではないと意味がありません。驚異にならないからです。しかし、それは同時にこちら側も制御が出来ないことを意味します。それ故に暴動に発展してしまうのでしょう。しかも明確な解散するための達成目標と時間が必要です。でないと暴徒にしかなりませんし、暴徒になった時点でこちら側の敗北です。「法を乱すもの=悪党」となりますので、その時点であらゆる前提が崩壊するからです。
人間の集中力は長くは持ちません。プロ市民がある部分では淡々としているのはそのためです。

実力行使などは相手の思うつぼで「ひゃっはー!正統防衛で殴れる!逮捕できる!」ってな程度のもので相手の憂さ晴らしのターゲットにされるのがおちです。映画では容赦なく銃殺されていました。近年のアメリカ軍の行いを見ても明白でしょう。というより、ああした行為がベースなのだと思いました。実際に5/7の渋谷でも行進で逮捕された人は、その際に警官に殴られていました。確かに正当防衛なんです。法律では。

では、どうすればいいか?過去を思いやはりこれしかないのでは、と思い当たるものがありました。
コミュニティです。小さなコミュティの関係が密になると、集合的意識体となります。それらが集まり更に大きな意識体となります。その流れは組織立ちスムーズかつ迅速に行動ができます。権力者にとっての驚異になるでしょう。

その辺りは日本人の十八番であったように思います。特に百姓がそうだったのではないでしょうか。コミュティの「A」で人が不足すれば、「○さん、Aが人出足りていないからちょっと行ってきて」といい支えます。現代のように「えー、なんで?」と口答えする人もまーいないでしょう。自分も助けられていることがわかってますから。その上で言う人はいられないでしょう。(その辺がまずいんですけどね)

明治以前、日本がいかに優れたコミュティで地域を支え、幕府なんて実質関係がなかったかは本を読むと目から鱗です。ただ、同時に問題もはらんでいますが、今の異常を思えば遥かに正常な気がします。今の日本はヤヴァ過ぎます。今回の震災と人災で目が覚めました。何がヤヴァイかって、昔のように権力者vs労働者ではなく、権力者vsその他自由人 になっているからではないでしょうか。その他は圧倒的に不利です。搾取されるだけの人です。何せ結束しませんから権力者は自分達に都合の良いように法律をつくり、自己を正当化し、防衛し、攻撃し放題です。その一つの結果が元ライブドア社長の拘留確定なのです。ズバリやりたい放題です。膏薬と方便はどこにでもつくというわけです。正義も何もありません。それは我々が全く驚異ではないからです。バラバラですので。既得権者だけが利権という目的のために唯一結託しております。強いはずです。

我々は有史以来最悪の状態に身を置いているかもしれません。