2011年6月27日月曜日

6/24 荒川強啓デイキャッチ!にて、放射線を語る難しさを考える


6/24金曜日のTBSラジオデイキャッチの放送。
荒川強啓さんと宮台真司さんの対話がこの問題の難しさをよく現していたように思いました。

リスナーの「海は安全だと聞いても正直いって迷う。どこに釣りに行こうか?やっぱり東はやだ。釣ったところで魚をどうしようか?・・・これって風評被害になるのでしょうか?」といった具合の問いでした。

荒川強啓さんズバリ「なります。止めてください」と憤りを込めて応えてました。

私は、「ならないでしょ!」と思ったのですが、じゃあ自分ならどう応えるだろうと考えました。

国が公的に安全だと言ったわけだから、個人として否定するのは構わないけど、それを公共の放送で不特定多数の人に向かって宣言するのは風評になるでしょう。でも、実際グリーンピースの数値等をみると到底容認できない数値です。安全なら何故政府はグリーンピースの調査船を世界で唯一拒否するという汚名を被ったのでしょう。
そんな発言を信じられるかというと、信じられるわけがありません。しかし、現実問題「安全だ」と公的に言ってしまっている。こうなると「安全でない」と公的に言うとこの”国内では”風評になってしまうようだ。
尚且つ厄介にさせているのは、医学的検証が不足しており(実際は隠しているだけとも聞きますが)確定情報として危険と言うのははばかれるかもしれない。現にMr.100mSvを筆頭に声高に安全宣言を発している医学者も少なくない。それでも確かな現実としてチェルノブイリ事故後の現在までの異常な数値は実害を物語っている。

外へ向かって声を出す難しさに戸惑いました。

同時にそうした慎重さの欠片もない政府の発表に改めて憤りを感じました。

水を測る難しもあります。放射性物質は時間をかけ水底に沈みます。つまり、時間が経過するほどいに水底にはオゾマシイ数値が出る可能性は常にあります。それがどういった影響を及ぼすかなんて、誰にもわからないのではないか?とさえ思えてきます。そして、わからないのであれば、最大限に注意を払うのが生き延びる基本ではなかろうかと。政府の判断に疑問を感じます。

宮台さんが何も応えません。「黙っているのかな?」と思っていると、

その後、別なタイミングで宮台真司さんは
「私は家族には海にもプールにもはいらせませんけどね」といった趣旨のアンサーをしました。
そして、「この問題はそれぞれが考え、将来の家族や自分に対して責任をもてる行動をとるしかありません」といった内容の話をされました。コレがベターな回答かもしれないと思いました。

わからないのであれば、本来は慎重になってしかるべきです。
地雷があるかどうかわからないところを、ズガズカ歩いて行く人は勇気があるというより無謀と言えます。無謀でないとしたら、確実に地雷を避けられるすべがあるからにほかなりません。

私には政府の発言はこう聞こえます。

「埋まっている地雷は少ないんだから、そうそう踏むことはないから安全だ。万が一踏んだとしても即死するとは限らない。何より、どのみち待ってても人は死ぬんだよ。さーどんどん行って!」

国民に何も器具を渡さず正しい情報を知らせず、
とにかく地雷地帯を進むよう促すような行為に思えます。

そして、個々が様々な方法で金属探知機やら情報やらを入手し慎重に前を進んでいると、政府の発表を信じている人から「ちょっと君!それじゃまるで危ないみたいじゃないか。気分が悪いからやめたまえ!!」と言われる。確かに運がいい人は地雷を踏まないでしょうが・・。

政府が安易に宣言し、情報を隠匿するということは根本的な部分においての共通認識にズレが生まれ、より混乱を深めるということに他ならないように思えます。こうした状況下では、国が何を言おうが、個々が判断し、個々が自らの命を守るしかないように思います。過去の戦争の例をみてもわかるように、基本的に国も企業も最後は責任をとりません。政府や企業は解体すればよいでしょうが、命は取り返しがつきません。巻き戻ることはありません。