2011年6月7日火曜日

教養の大切さ

飯田哲也さんとの共著がまもなくでます。まえがきです。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=943

これを読むと、宮台真司さんはあの爆発前後疎開されていたようです。
そういえばtwitterでもつぶやいていらしたような気がします。

これを読んで驚いたのは「教養」ある人の行動です。
一般人のように、正しい、正しくないでモメるのではなく、もう先の先へ行ってます。
どこへ行くか、誰に手をうつか。そういう世界です。
宮台真司さんは、人的資産の重要性を指摘されてますが、
私は寧ろその前に、教養の問題を思いました。



私もあの日の夜、まさに「逃げようか逃げまいか」悩んでました。
チェルノブイリ事故でTVレベルの知識はあったからです。
しかし、大胆な行動をするだけの確たる知識はなく、記憶も薄れておりました。
ましてや知識が集約、昇華された上で身につく教養にまで至っていませんでした。

その結果、留まり用心することにしました。

それは教養のなさが生んだ結論だったと省みます。
チェルノブイリとは状況が違うし、
型も違うし、
政府もいちを安全だと言っているし、
専門家も距離の二乗に反比例すると言っているし、
お金もないし。。。残ろう。

それはつまり自分の選択は正しいと思いたいがゆえの思い込みでした。

教養のなさだと痛感します。
教養がなければ、お金持ちや人的資産があっても逃げないでしょう。
実際多くのお金持ちが残っていたように思います。

もし教養にまで至ってあれば、
命に関わることです。行動にうつすでしょう。
お金は最悪後でもどうにかなります。すればいいことです。

教養があり、
その上で人的資産があり、
更にお金があれば、
尚更生き残れる。

これは太古の時代より繰り返されてきたループ。
こうした方に未来を託すのもいいかもしれません。
やはり愚か者は滅びる運命なのかも・・と思ったりしてしまいます。

人的資産やお金は色々な関係で難しいです。
個人の努力だけでは及びません。
ですが、
教養は個人の力でほとんどどうにかなります。
ならないかもしれませんが、なりそうです。

教養がこれほどまでに重くのしかかるとは思いもよりませんでした。
何にもまして、教養ありきなのだと思いました。