2011年7月25日月曜日

被曝世代

100mSv/年で1000人に5人がガンになると言われている。
到底無視できる数値ではない。
マスコミは何かというとこの数値を出し、
暗に確率は低そうなニュアンスで伝えているように感じる。

最も忘れてはいけないのが、
ガンは一例に過ぎないということだ。
つまりガンだけとっても、それほどの実害があるということ。

当然な話であるが遺伝子破壊に伴う障害というのはガンだけに留まるはずもない。
些細なところから言えば、低線量被曝に伴う鼻血、下痢もそうだろう。
経験したことがない大人は大概こうやってなだめる。
「たかが下痢ぐらい」
「たかが鼻血ぐらい」
散々聞かされてきた台詞だ。
自分が安全圏にいる上での無責任な発言に思う。
そんなことを言うエネルギーがあるのなら、
その子を、その人を、黙って抱きとめてあげるだけでどれだけ救われるか。

生活のクオリティを下げるには充分すぎる事象である。
私は下痢が2週間続いた。
そんなことは未だ嘗てなかった。とても辛いものである。
日常に負荷がかかる。
しかも、こうしたことは続くことで更なるステージに登ってしまう。
下痢が続き痔にもなった。
些細な例であるが、複合的にに更におきれば大きな問題である。

倦怠感を馬鹿にする人も多い。
何事もそうだが、体感していない人に何を言っても無駄である。
泥沼に足を突っ込んで走るのと、
整地されたコースで走ってタイムを競うようなものだ。
整地された方で走ったものは「おっせー!」と笑うだろう。
当たり前だ。条件が違う。


やはり被曝しないにこしたことはない。


残念ながら、
これからの世代はこうした大なり小なり負荷を前提に
向きあう時代となるように思う。
私は放射性物質がキューリー夫人によって見つかる前の時代が羨ましい。
ただし、現代の日本にはあの時代にはない恩恵も沢山ある。
便利さを裏返しと頭を垂れるしかなさそうに思う。

私は物心ついた時よりずっと疑問に思うことがあった。
何故叔父さん達はああも元気なのか。
これは明白に人間の本質から違うと感じさせるものがあった。
ずっと疑問だったが、これは最早私としては疑いようがない。
放射性物質があった世代かそうでないかの差に思う。

私の叔父には75歳まで木のぼりしている人がいる。
夏には素潜りをし楽しんでいた。
私は到底できそうにない。今でも無理だ。
やろうと思えば出来るが、
彼らのように勝手に走り出すような脈動感を肉体がもっていない点で大きく異なる。
私にとっては恵まれた世代に思う。

本当に恵まれた者は、己の恵まれた環境を理解し得ないだろう。
それが恵まれているということだ。
後天的に恵まれた者は、差を体感しているので恵まれていことを把握できる。
はなっから恵まれていれば理解できるのは無理だろう。

現に理解してない人が多いように思う。
そうしたことを言うとこをこの世代に言うと全てはこの一言で済まされる。
「気合が足りない」
私は「違う」と言い続けたが理解されることはなかったし、
今後もされないだろう。
真に恵まれている人には理解できないのだ。
後は個人の資質の差で汲み取れる人がいるぐらいであるかに思う。

それだけ70代以上は肉体的に恵まれた人が多かったということの証だと思う。
あまりにも当然過ぎて理解ができないのだ。
そのため、大袈裟に言っている、もしくは気合が足りないと悟入してしまう。
これが90ぐらいの世代になるとまた違っていた。
聞いてくれるのだ。
理解は出来ないが耳を傾けてくれた。
祖父母がそうだった。
経済成長ど真ん中を生きた世代との差なのかもしれない。

なぜアトピーは突然湧いたのか?

自分なりに同じような人達とディスカッションをしたり、
大人達や医療関係者の意見を聞いたり、本を読みかじったり、
自分の身体を実験体にして色々様子をみていた。

私の結論は免疫系に何か根本的な問題があるのでは?

というものだった。
現代の日本の医療はアレルギー一本調子で、その本質的矛盾にすら気づいていない。
原子○村の方々とまるで同じ構図である。

被曝が関係している可能性は否定できない。

今までは夢にも思わなかったが、
思えば、私は60年後期の世代だ。
世界で最も頻繁に核実験が行われた世代である。
世界中に放射性物質はばら蒔かれた。
小出さんのエントリーを読み続け、その事実を知った。
セシウム137は世界中で検出できるものであるが、
それは核実験によって世界中にまかれたからと述べていた。

私の狭い範囲の知見でしかないが、
アトピーも40代と50代で爆発的にその数が違うように思う。
私が知る限り、50代以上のアトピーというのは突出して少ない。
40代から突然湧くのだ。
昔は「カユイぐらいでなんだ!」と大人達から怒られたものである。
知らないとは傍若無人である。
当時はアトピーという言葉すらなかった。

今も昔も恵まれている人には理解できない。

低年齢層へ行くほどに鰻登りに増加する。ガンにしてもそうだ。
高齢化に伴いガンが増えたというのは詭弁のように思っている。
要因としてはあるのだろうが、これほどまでに数が増えた根本的原因とは異なると思う。
数値の偏りが異常である。

しかし、それが仮に事実そうだとしても
現実は何もかわらない。
意思をもち行動する一方で、
受け入れることで生きていくしかない。
それが今生きている我々に課せられた生なのかもしれない。

こうして人はいつの間にか全く違う存在として
生き続けるのかもしれないし、死に絶えるかもしれないし、それは誰にもわからない。
いずれにせよ、地球は回るし、なんらかの生命は残りそうだ。

今回のことでつくづく判ったのは人間の大人は思った以上に愚かであるということだ。
そして愚かにさせているのは強欲さであるということ。
強欲さの顛末は往々にして良いものではないが、
いよいよになった時はなった時で遅まきながらでも足掻くのだろうと思う。
それもまた強欲さのなせるわざに思う。
良い力点として強欲さを発揮したい。

漫画「風の谷のナウシカ」がその辺りも実に巧みに描かれている。
あれを読むと人間の大人の愚かさは何も変わっていないものなんだなぁとつくづく思う。
丁寧にビデオ化してくれないだろうか。映画で収まるスケールではない。

一番上の世代が今の40代になったら日本はもっと一皮剥けそうに感じる。
戦後世代の親たちのやり方に従属し、大いに疑念を抱いた年代だ。
現役でありながら結論も出た。失敗の産物である。
矯正され、挙句に矯正した側から失敗の烙印を押された。
失敗を肌で経験した者は強い。
リセットして這い上がるしかない。
最早親世代のモデルは眼中にない。
(だから親との確執が強い世代もであり、事件も自ずと多い)
今の40代は(30代後半も)ネット世代の前と後の良さと悪さの両方を知っている稀少な存在になると思う。

既にその兆しは見えているように思う。TV「情熱大陸」で武田邦彦さんが仰った通り、
悲観は気分に通じ、楽観は意思に通じる。
野尻先生も昔から言っていた。
悲観からは何も生まれない。情緒に浸っているだけ。
プラスもマイナスも全てプラスに持っていければいい。
野尻先生はこうも言っていた。
否定も肯定も両方あったほうがいい。
一番怖いのは肯定しかなくなった時。その逆も真なり。
せめぎ合っている時にいいものが生まれる。
藝術なんかまさにそう。

肝に銘じたい。