2011年9月11日日曜日

辞任

何故辞めたのか?
何故やめなければならなかったのか?
皆目理解できない。



前原さんの時もそう。

あの時だって海外から、
「は?その程度でやめんの。なら最初から政治家なんてなるなよ」
言い方は変換しているが、そういった趣旨の報道があったように思う。
潔いのではなく、無責任に思えた。
その挙句に代表選では出馬までする。
理解できない。

彼らのやっていることはまるでぶつ切りである。
過ちも、罪も、切り捨ててしまえば何事もなかったかのようだ。

今回の辞任も言ったにせよ、
言わないにせよ、
辞める意味がわからない。
彼らにとって大臣という責任はこれほど軽いのだろうか?

恐らく読むべき空気を読まずに、
読まなくていい空気を読んでいるように感じる。
マスコミの羞悪さは3・11の時に決せられた。
最早疑いようも隠しようもない。
常識、非常識という次元を超えたものだったように思う。

発言に誤りがあれば、心をもって陳謝すればいい。
その陳謝が5回も6回も続くようでは反省がないということになる。
たった1回のミスでいちいち辞められていたのでは現場は大混乱である。
恐らく混乱はしないだろうが、混乱しないことが問題でもある。
いてもいなくても同じということになるからだ。

言ってないのであれば、断じて言ってないと言えばいい。
その上で、その下劣な新聞社と新聞記者に証拠提示を求め、
誤りがあれば謝罪記事を書かせ、悪質なら告訴ればいいように思う。

今のままでは、大臣は発言したことになり、発言が不謹慎だと思い辞任した。
ということになる。
しかも辞めなければいいけないほどの重大な発言の誤りをしたと認識した。
ということになる。

「日本は電力マフィアに牛耳られている」と海外で報じられている。
その通りだと思う。
ネットを利用しない多くの高齢者は実質彼らの支配下におかれているのも事実だと思う。
選挙権の大多数がその彼らに握られているのもまた事実に思う。
そして多くの高齢者が高齢者であるがゆえに放射性物質による被害は結果的に少ない。
なんなのだろう?これは。

今の日本のマスコミは、
一部の2チェンネラーと同じように思う。
騒いで、ことをおこして、自分の思う結果になったら「我らの力だ」とばかりに喜ぶ。
あれほど2チェンネルを批判していたマスコミが同じことをやっている。
彼らは祝杯を上げたのだろうか?

私は悲観しなくなった。

今までは「こんなはずじゃなかった」という意識があったため怒り、悲しみ、憤った。
「こんなはずじゃなかった」ということはない。
それは夢想だ。自分の思う日本人像を投影していたに過ぎない。

コレが全て。
コレが事実。
コレが日本人。

仮面が剥がれただけなのだろう。
恐らく元々日本人はこの程度だったのだろう。
自らを振り返っても大したことがない。
大したことはしていない。
日本人はこの程度だったのだ。
恥を晒すだけさらせばいい。
そして自覚すればいい。
他の国だって自覚していないだけで、なかなか相当酷いものだと思う。

落ちるだけで落ち、
恥を晒すだけ、晒す。そしたら、
底から立ち上がってくるものが必ずある筈だ。
底の底では日本人は腐っていないと思う。
道徳心がある。
もし、
底の底で、クソ野郎なら、日本はもっととんでもない国になっていたと思う。
そこまで日本人は崩れることが出来ないだろう。
それもある種の弊害だが、良さでもあると思う。
間違いなく、日本人の心の奥の奥底には、煌くものを感じる。
生きてさえ、生き残ってさえいれば必ずどうにかなると思える。
今は仮面を破壊する時期なのかもしれない。
仮面を破壊しきらなければ結局は変わらない。

仮面が完全に破壊された時からが勝負だと思う。

今の日本人は世界の恥さらしだ。疑いようがない。
例えるなら日本人は肥溜めの風呂の中にいる。
でも、こんな機会は100年に一度とないかもしれない。

思いっきり一風呂あびて、
屁でもこいて、
どうせ肥溜めなんだから、出すものも出してスッキリするのもいい。
汚いという人はいないだろう。
「汚い」という人がいたら、
その人は気づいていないのだ。
自らが肥溜めの中にいることを。
教ええてあげる必要もない。
可哀想だ。
笑えばいい。

日本の仮面は壊れ始めたばかりな気がする。