2011年12月26日月曜日

子供たちの成長をみてきました

昨日は親族で集まって食事をしてきました。
本当はここに自分の親たちもいることが理想なのだけど、まーなかなか。

子供たちを見ると我が事を振り返り微笑ましくも暖かい気持ちになる。
思春期だなーと2828しながら感慨にふける。
昨日のように我が事を思い出す。
こういう風に周囲の大人たちは見ていたのかと過ぎし日の月日を思い、得心する。

老いを恐れたり毛嫌いする大人は非常に多いが、
私は今が純粋に好きだ。
オッサン最高である!!
肉体的、精神的、経済的に最も自由度たかい時期に思う。

これを過ぎると肉体は一方的においてくるため肉体的自由度は失われていくだろう。
しかし、それは鍛えることで緩やかにするこが出来る。
それを理解している。
若いころは精神的な惑いをコントロール出来ないばかりか何が起きているかすらわからなかった。

オッサン素晴らしい。嬉しい。

甥子らを見て、あの頃を思い出す。
当時はタンスが勝手に倒れていくのを必死で抑えているような心境だった。
キツイかった。
助けてくれ!誰か止めてくれ!という心境が休みなく続く。
大人たちは何も示してはくれなかった。

ラッキョが転がっただけで「ふざけんな!」と分けのわからない憤りが駆け抜けたりもした。
他人の目が気になって仕方がなく、監視されているようでいつも落ち着きがなかった。
極めて不快だった記憶がある。

親族で集まった時、独身の叔父さんという存在は貴重だと思う。
唯一純粋に道化に徹することが出来るポジションだ。
なんでもあり。
すぎれば親たちが迷惑そうなのである程度は抑える。
気づき過ぎるというのも考えものだ。

子供たちといるとこのポジションは楽しくて仕方がない。
そこから彼らは得るものを得るだろうし、得ない場合もあるだろう。
自分だってそうして育ってきた。
道化は社会の潤滑油になると思う。
ア4っぽい叔父さんは最低一人はいたほうがいいんじゃないかな。

最近子供たちがやたらあちこで咳をしているのが気になる。
何事もないことを祈らずにはおられない。
全員が顔を揃えられ、静かに、それでいて普通に、集えたに思う。
それが何より嬉しかった。