2013年5月28日火曜日

東京大学 早野龍五:福島の内部被ばくと外部被ばくをデータを見て考えよう

東京大学 早野龍五
福島の内部被ばくと外部被ばくをデータを見て考えよう
ここはチェルノブイリではない
福島のデータをしっかり見よう
http://www.slideshare.net/RyuHayano/gcm-2012716





(私見)

師が私に言う。

そっくりと、同じ は全く意味が違う。
微細な変化にこそ謎を解き明かす鍵が宿っているのであり、
過去の経験からくる観念や、
類的思考から個別ケースを捉えるのは誤りである。
その時点で感性の鈍化を表している。

師の亡き奥方は言った。
無知では困るのよね。無知では。

我が身を省みるざるおえないと改めて感じるスライドでした。どうしてもチェルノブイリをモデルケースにして考えてしまう弊害が一方であることを示したものに思う。このスライドで最も衝撃的だったのは1964年から日本人の食材に含まれる放射性物質の計測が一部では成されていたということです。実に恐ろしい。これはまさに未必の故意ではなかろうか。なんとおぞましいものだ。とうにモルモットであったわけです。

ただ、これもまた事実の一部に過ぎないわけだが、久しぶりにこれまでとは異なる視点で解析されたデータに思いました。日本はご先祖様に守られている?と考えたくもなりますが、じゃーその恩意に報いているかと考えると反省せざるおえない。とはいえ最終的には個別ケースでしかわからないのでしょうから、だから安全というわけではけしてないように思います。昨年発表された新しい報告でも、閾値を無理に設けるとしたら0か0以上って報告ありました。ないに越したことはないと私個人は考えてます。先日の換気扇の件といい、業務に携わる専門家は正直であってもらいたいものです。


(蛇足)

これが後々、数十年たってもそうであるのなら当時の政権が「後世になれば我々が正しかったことがわかる」といった内容を発言されていたことは必ずしも間違ってはいないことになるのではなかろうか。まだわからないが。いずれにせよ不信感がそうさせた。
これは企業の対応でもしばしば見られることだが、事実上の主導者はそれを受ける受動者を「愚か者である」と捉え、無視して行動することに問題があると感じる。過去の歴史からもある意味では「集団は愚かな行動をとりがち」であることは間違ってはないと思うのですが、捉えているのと、行動するのでは大きく異るように個人的には感じる。外から見る夫婦間のやり取りなんてまさにそうだ。なんでこんな下らないといっては申し訳ないが些細なことでここまで揉めるのだろうとと見える。多くの場合、男は本質を見て、女は小さな変化に目を奪われるからという点にあると思う。奥さんの不満を蔑ろにする側にも問題があるし、旦那さんの本質的な話に耳を貸さないという側にも問題がある。これは実に国民と政府の関係に似てる。執拗にヒステリックに騒がれたら我慢の限界はある。ただし嘘をついていたら信用出来る筈もないから騒ぐのも当然である。丁々発止しつつ本質的な点では信頼をし、また互いに信頼を得るような歩むよりは必要なのだろう。

主導者側にありがちな愚民と考える行動は「大きな不安の声が上がった」時に出る。適正な対処(嘘をつかづに不安を解消する行動)をとれば「決定的不信感=別離」を生むことはないはずだが、何故か嘘をつく。それは逃げなのだろう。嘘をつく方が楽だからだ。真摯に向き合っていないから当然ながら信頼は損なう。
それを逆に311以後最もうまく活用しようとした人が白い犬のいる会社のあの方に思う。一時的に多大に支持されたのは(図らずしも自分も一時)それが効果的に作用したからに思う。ただ、本質的な部分で対応が成されなければ、いずれは知れ渡り腹を見透かされ、むしともっと深刻な別離を生む。指摘された問題点だけをクリアしている主導者は結局本質的な点に目を向けていないということの表れであり、いこーる真剣には考えてないということを結果的に示してしまうように感じた。結局のところ誰しも人は本音しか見ていない。

個人的な身体の状況に目を向けると思わしくない。311以後、厳密には514から粘膜系が徹底的に破壊されたようだ。未だ嘗て経験したことがない状況に陥った。上から下から血が流れた。鼻血がいつの間にか流れたのは生まれて初めての経験だったし、足の指先から血が吹き出したのも初めてだ。多くは概ね収まったが、逆に完全にも収まっていない。ピーク時の左足親指から突然に血が吹き出した様はまるでホラー映画を見ているようで妙に冷静に見てしまった。これは主に私が意図せずホットスポットへ旅行へ連れだされたことが起因しているように感じている。その3日後から全ては始まった。後悔先に立たずとはよく言ったものである。これは過去に起きた事例の初期被曝の典型例そのものであるようだ。丸二年になりピークは過ぎたものの未だ上から下から血が時折出る。そもそも胃が痛くなた経験が過去に皆無だった私としては最初は全く気づかなかった。「これが胃痛というやつか」としばらくして気づく。

事例通り初期被曝の症状が粘膜系に出ていると思われる。更に気づいたのは、免疫力が低下するシチュエーションになると症状が顕著になるという点だ。これも事例通り。なので出来るだけ養生することを意識している。破壊と再生が体内で繰り返されている感じだが、再生が滞ってきた場合は漢方や化学薬品の力を介在せざるおえない。先日も薬を買ってきた。再生を促すようなことを積極的に取り入れて最終的には再生側に身体が傾くような肉体の手伝いをすることしか出来ることはない。なのでより身体に良い事を考えるようになった。

影響は本当に個人差が大きいようで、共に旅行へ行った全員になんらかの症状が結果的に出てしまったように思うが、その差が実に極端であることに視点を置く。私が最も酷いように思う。私は3日後から数ヶ月後にピークが来て、現在に至るまで明らかに異常が継続している。当然ながら過去にそんな経験はない。一方で1年以上を経て少し調子が悪くなった者がいる。急激に出て後は平気な者もいる。基本的に当人のもつ弱点に強く出るようで、これも事例通り。私の場合は元から粘膜系が強い方ではなかった。弱いと言っていい。過去の事例で考えると、この3から10年が最も注視すべき変化なのだろう。広島のケースでも10年後がピークだったと聞く。その間に少しでも身体が良い方向へ傾くよう努力するしかないだろう。肉体は政府と違って確実に応えてくれる。

私の稚拙な持論としてアトピーや喘息や癌が近代急速に増えたのは地表核実験以後の放射線による影響で遺伝子の損傷があったのではなかろうか考えてきた。周囲に賛同者は皆無であったし、不本意に罵倒されることも多くあった。(後に一人だけ現れる)ヨーロッパでは既にそういう見地の方は増えているように思うが日本ではいまだアレルギーと加齢論から枠を出ない。本で見たアトピーの増加グラフがまさにその傾向と一致するように思う。私が生まれた時期にもピッタリ一致する。実際に罹患して日々潰さに観察し試行錯誤するとアトピーというのは明らか既存の枠に収まらないと感じる。遺伝子レベルの問題、部分的損傷と考えると実に納得がいく。程度の差は損傷具合の差ではなかろうか?

とはいえ、出来るだけ出来る内に自らの能力をつかって出来ることしか誰しも出来ない。自らの考え方と行動力をもって心豊かに生きたいものだ。出来ないものは出来ないし、出来ないことを考えることは無意味だ。それならいっそ知らない方がいい。そして一人一人の認識や考え、そこから来る行動が世界をちょっとづつ動かし、結果的に今があるのだと感じた。現状が悪いのならその責任はすくならず自分にもあるようだ。無関係ではいられない。そして最終的にどうなるかは誰にもわからないだろう。出来ることは自分のことでしかない。願わくば親は子を守ってもらいたい。大人は近くの子を守ってもらいたい。