風立ちぬ公式サイト:http://kazetachinu.jp/
先日のこと。姉妹が所属するオケのコンサートから帰った後、兄弟宅で雑談。
そこで 「風立ちぬ凄い良かったよ、私は好きだなー。あんたも好きだと思うよたぶん」と言われ思い出しました。そう言えば宮崎駿監督の最新作が公開中です。彼の作品だけは唯一欠かさず映画館で見ております。
アニメは最早宮崎アニメしか観ないといっても過言ではありませんが、今回は今までとは違った意味で興味がありました。子供の為にしか映画は作らないと豪語し、終生実行していた氏が、最も嫌いで忌む 戦争 に纏わる映画を作るという点です。この裏にはプロデューサーの鈴木敏夫氏の働きがあったそうで、「もうそろそろ氏自身の中で向き合って清算してもいい時期なのでは?」といった旨の話をされ、当初は激昂していた宮崎氏が受け入れたとか?自らのカルマといいますか、トラウマと氏がどう向き合い、映画を通して答えを出すのか非常に興味がありました。そういう意味では、全く今までとはコンセプトが異なる映画なのでしょう。当然のことながら子供向け映画ではないと考えていました。
本当に美しい映画でした。
才能豊かで眉目秀麗、良い環境で生まれ育ち、清々しくも隆起した精神をもった主人公とのその周囲の人達による凛とした生き方に強く胸をうたれました。既に6時間以上たつものの未だその余韻が残るほどの強烈な印象をえ、「自らの心の構えを改めなければいけないな。出来る範囲で・・・」と強く思った映画でした。洋の東西を問わずこのような経験は始めてに近い感覚です。
当初 堀越二郎の声に違和感をおぼえましたが、それは中盤を過ぎる頃には「なるほど」と強く納得し、終わる頃にはこの声で良かったと思いました。恐らくあの監督でしょう?声から伝わる彼の少年のような精神性には感動すらおぼえました。なるほど彼の作品であるあの内容がああなったのも強く頷ける気がします。あの声が無ければ堀越二郎は完成しなかったように感じました。けして気丈ではなく、不器用で、でも真っ直ぐで痛みを知っている声に感じました。
前半は大きな物語的な緩急もなく最初は退屈に感じました。しかしそれが中盤以降への説得力というか納得というかバックボーンになります。堀越二郎氏の精神性の裏付けにもなり良かったようにも感じます。前半は主人公が置かれた背景を言葉ではなく動きで描いていたので退屈に感じるのも仕方がありません。逆に非常に丁寧に周囲が描かれているので、そうした楽しみ方が出来ると思います。2度、3度とみると前半部に感動しそうです。彼の行動一つ一つに大きく感銘を受けると同時に自らの卑しさにちょっと胸を痛めつつ鑑賞しました。それぞれの表情が本当にいいんです。
関東大震災、戦争という非常に大きな災厄ばかりが続いた中での話にも関わらず彼は世間というものに注視、流されることなく、でも十分な教養と感性でもって十二分に置かれた状況を知りつつ、それでも彼の友人のように口に出すことなく、自らの目線で自らの夢にのみ注心していくその姿の美しさときたら・・・。だから暗いものが伝わってきません。描き方も実に秀逸で、周辺の様子に目をやると、きっちり描かれた国民の表情は誰も暗く猜疑心も強そうに描かれています。笑顔はなく不躾で不遜、そういった感じです。いや仕方がない話ですが。ただ彼と周囲の纏わる人々の表情だけは凛として清々しく、深い教養と情け深い心をもって描かれている。
彼や彼女はハイクラスな環境に生まれ、豊かで恵まれ、才能もあった。という点は間違いありません。誰しもがそうした環境でいられるはずもない。ただそれでも妹の加代が必ずしも二郎や菜穂子のようでなく、どちからというと現代的感覚をある程度もって描かれていたように、必ずしもハイクラスな環境で才能があればかの二人のように生きられるわけではないということが伝わります。結局はそうした気質をもった人々だったのではないでしょうか。そうした気質を持ち合わせていない自分ではありますが、意識的構えでもってある程度自らの舵をきることは誰しも出来ることだと思います。何か、自分も可能な範囲で彼彼女らのような清々しくも美しい精神性でもって少しでも過ごせたら・・・と強く心に刻まれました。終わり方も美しかったなぁ・・・完全に音楽すら食っていたかもしれない。
こうなるとストーリーがどうだとか、構成がどうとか、何がどうだとか、演出がとかどうでもよく、ただただ主人公の生き様と彼女や周囲の人々の清々しくも凛としたありように胸をうたれました。自分の人生を、心の構えを考えさせられました。野尻先生が言う、「小細工はいらない。メッキははげるから。生き様が全ての表示に出るから無様な精神的構えしかなければどんなに技術が優れていても、取り繕ったところで無様なものしか出来ない」というのが痛感します。同時に 「人が真に感銘を受けるのは技術ではない、技術は結果的に必要ではなるけれど、それは目的ではなく手段である。むしろ技術を磨くよりも精神を磨いた方が作品はよくなる」と言っていた意味もよくわかりました。
閑話休題
新宿って映画館凄い増えたんですね。一時、映画といったら有楽町ばかり足を運んでいたので久しぶりにみるのですが、新宿ピカデリーが出来てそこで何回かみたぐらいで後は知りませんでした。昔は新宿といえばコマ劇場前でしたが、すっかりピカデリーしか頭にありません。しかもネットで席を事前に予約することが出来るようになっており支払いも済ませられるという。時代ですねぇ。最新技術とサービスは利用せざるおえない私なので早速ネットで席を予約し購入。油断してました・・・。現場へ行くと、買ったチケットの上映館がピカデリーじゃないし!!w 換券端末で予約番号の桁数が全く違うので驚いてカウンターへ行くと、「ここじゃないですね」とのこと。暑さのせいか、最近こうしたポカを連発しております。たまたま早めについたので20分前。スマホのマップでみるも位置関係がわからず、結局は別な映画館で訪ね最後は人間力で現場へ辿りつけました。私の焦りを察したのか慌てず丁寧に教えていただいてありがたかった。新宿バルト9。そんなのが出来てたんですね・・(;・∀・)。 ピカデリーは白基調、清潔感はあるもののどうも精神的に落ち着かない空間でした。バルト9はベージュ基調で全体が柔らかく落ち着いておりとてもよい感じ。今後はちょっと足を延ばしてバルト9にしようかな。この映画はほんと老若男女で幅が広いようで子供はほとんど見当たりませんがチラホラ。いかにもな若人の賑やかなグループから、焦る私の前を80歳以上とおぼしく老夫婦が仲良くエスカレーターで上がっておりました。上映開始直後に着。席も幅がありゆったりしておりグッドです。ロビーでは過去作品のポスターがずらりと並んでおり懐かしく拝見いたしました。予告で観ましたが「かぐや姫」面白そうです!!線画の美しさが凄い。間に合うのでしょうか?w 今からワクワクです。まだ映画が見られる環境であることを祈ります。そういう世界、国、時が長く続くことを願います。今こうした状況というのがいかに恵まれているか身にしみます。
先日のこと。姉妹が所属するオケのコンサートから帰った後、兄弟宅で雑談。
そこで 「風立ちぬ凄い良かったよ、私は好きだなー。あんたも好きだと思うよたぶん」と言われ思い出しました。そう言えば宮崎駿監督の最新作が公開中です。彼の作品だけは唯一欠かさず映画館で見ております。
アニメは最早宮崎アニメしか観ないといっても過言ではありませんが、今回は今までとは違った意味で興味がありました。子供の為にしか映画は作らないと豪語し、終生実行していた氏が、最も嫌いで忌む 戦争 に纏わる映画を作るという点です。この裏にはプロデューサーの鈴木敏夫氏の働きがあったそうで、「もうそろそろ氏自身の中で向き合って清算してもいい時期なのでは?」といった旨の話をされ、当初は激昂していた宮崎氏が受け入れたとか?自らのカルマといいますか、トラウマと氏がどう向き合い、映画を通して答えを出すのか非常に興味がありました。そういう意味では、全く今までとはコンセプトが異なる映画なのでしょう。当然のことながら子供向け映画ではないと考えていました。
本当に美しい映画でした。
才能豊かで眉目秀麗、良い環境で生まれ育ち、清々しくも隆起した精神をもった主人公とのその周囲の人達による凛とした生き方に強く胸をうたれました。既に6時間以上たつものの未だその余韻が残るほどの強烈な印象をえ、「自らの心の構えを改めなければいけないな。出来る範囲で・・・」と強く思った映画でした。洋の東西を問わずこのような経験は始めてに近い感覚です。
当初 堀越二郎の声に違和感をおぼえましたが、それは中盤を過ぎる頃には「なるほど」と強く納得し、終わる頃にはこの声で良かったと思いました。恐らくあの監督でしょう?声から伝わる彼の少年のような精神性には感動すらおぼえました。なるほど彼の作品であるあの内容がああなったのも強く頷ける気がします。あの声が無ければ堀越二郎は完成しなかったように感じました。けして気丈ではなく、不器用で、でも真っ直ぐで痛みを知っている声に感じました。
前半は大きな物語的な緩急もなく最初は退屈に感じました。しかしそれが中盤以降への説得力というか納得というかバックボーンになります。堀越二郎氏の精神性の裏付けにもなり良かったようにも感じます。前半は主人公が置かれた背景を言葉ではなく動きで描いていたので退屈に感じるのも仕方がありません。逆に非常に丁寧に周囲が描かれているので、そうした楽しみ方が出来ると思います。2度、3度とみると前半部に感動しそうです。彼の行動一つ一つに大きく感銘を受けると同時に自らの卑しさにちょっと胸を痛めつつ鑑賞しました。それぞれの表情が本当にいいんです。
関東大震災、戦争という非常に大きな災厄ばかりが続いた中での話にも関わらず彼は世間というものに注視、流されることなく、でも十分な教養と感性でもって十二分に置かれた状況を知りつつ、それでも彼の友人のように口に出すことなく、自らの目線で自らの夢にのみ注心していくその姿の美しさときたら・・・。だから暗いものが伝わってきません。描き方も実に秀逸で、周辺の様子に目をやると、きっちり描かれた国民の表情は誰も暗く猜疑心も強そうに描かれています。笑顔はなく不躾で不遜、そういった感じです。いや仕方がない話ですが。ただ彼と周囲の纏わる人々の表情だけは凛として清々しく、深い教養と情け深い心をもって描かれている。
彼や彼女はハイクラスな環境に生まれ、豊かで恵まれ、才能もあった。という点は間違いありません。誰しもがそうした環境でいられるはずもない。ただそれでも妹の加代が必ずしも二郎や菜穂子のようでなく、どちからというと現代的感覚をある程度もって描かれていたように、必ずしもハイクラスな環境で才能があればかの二人のように生きられるわけではないということが伝わります。結局はそうした気質をもった人々だったのではないでしょうか。そうした気質を持ち合わせていない自分ではありますが、意識的構えでもってある程度自らの舵をきることは誰しも出来ることだと思います。何か、自分も可能な範囲で彼彼女らのような清々しくも美しい精神性でもって少しでも過ごせたら・・・と強く心に刻まれました。終わり方も美しかったなぁ・・・完全に音楽すら食っていたかもしれない。
こうなるとストーリーがどうだとか、構成がどうとか、何がどうだとか、演出がとかどうでもよく、ただただ主人公の生き様と彼女や周囲の人々の清々しくも凛としたありように胸をうたれました。自分の人生を、心の構えを考えさせられました。野尻先生が言う、「小細工はいらない。メッキははげるから。生き様が全ての表示に出るから無様な精神的構えしかなければどんなに技術が優れていても、取り繕ったところで無様なものしか出来ない」というのが痛感します。同時に 「人が真に感銘を受けるのは技術ではない、技術は結果的に必要ではなるけれど、それは目的ではなく手段である。むしろ技術を磨くよりも精神を磨いた方が作品はよくなる」と言っていた意味もよくわかりました。
閑話休題
新宿って映画館凄い増えたんですね。一時、映画といったら有楽町ばかり足を運んでいたので久しぶりにみるのですが、新宿ピカデリーが出来てそこで何回かみたぐらいで後は知りませんでした。昔は新宿といえばコマ劇場前でしたが、すっかりピカデリーしか頭にありません。しかもネットで席を事前に予約することが出来るようになっており支払いも済ませられるという。時代ですねぇ。最新技術とサービスは利用せざるおえない私なので早速ネットで席を予約し購入。油断してました・・・。現場へ行くと、買ったチケットの上映館がピカデリーじゃないし!!w 換券端末で予約番号の桁数が全く違うので驚いてカウンターへ行くと、「ここじゃないですね」とのこと。暑さのせいか、最近こうしたポカを連発しております。たまたま早めについたので20分前。スマホのマップでみるも位置関係がわからず、結局は別な映画館で訪ね最後は人間力で現場へ辿りつけました。私の焦りを察したのか慌てず丁寧に教えていただいてありがたかった。新宿バルト9。そんなのが出来てたんですね・・(;・∀・)。 ピカデリーは白基調、清潔感はあるもののどうも精神的に落ち着かない空間でした。バルト9はベージュ基調で全体が柔らかく落ち着いておりとてもよい感じ。今後はちょっと足を延ばしてバルト9にしようかな。この映画はほんと老若男女で幅が広いようで子供はほとんど見当たりませんがチラホラ。いかにもな若人の賑やかなグループから、焦る私の前を80歳以上とおぼしく老夫婦が仲良くエスカレーターで上がっておりました。上映開始直後に着。席も幅がありゆったりしておりグッドです。ロビーでは過去作品のポスターがずらりと並んでおり懐かしく拝見いたしました。予告で観ましたが「かぐや姫」面白そうです!!線画の美しさが凄い。間に合うのでしょうか?w 今からワクワクです。まだ映画が見られる環境であることを祈ります。そういう世界、国、時が長く続くことを願います。今こうした状況というのがいかに恵まれているか身にしみます。
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