2010年5月10日月曜日

ネット栄枯盛衰

ネットには色々なプログラムがフリーで公開されている。
こんなに凄いことが無料で出来て、挙句に日本語化してくれる方々や、わかりやすく解説してくれる人も出てくる。
この才能のクロスリンクこそ昔から永々とつむがれてきた社会のあり方に思える。それがネット上では一部の分野に限るがより軽快により広範囲で行われる。
「自分の能力をどう社会に還元できるか」還元によって個人も社会も大きく回りだすという点で考えると、このネットでの回転は凄いものがある。

しかし、回転がはやく即応であるが故に消えゆく分野も少なくない。ある種のサイクルがはやい。
何せ昨今は無料で出来るサービスが多く、挙句に性能も極めて優秀である。古いサービスはあっという間に陳腐化されてしまう。中でも、CGIレンタルサイトの閉鎖が散見される。
私は不定期でCGIレンタルサイトをサーフィンして、新しい発想のCGIや更新されたプログラムをチェックしていた。お気に入りのサイトが唐突に消えた。しかも、宗旨替えしたようでいきなり全く別な事業のサイトに変わっていた。

非常に独創的な発想で痛快な掲示板CGI等を配布していたサイトだった。ここ2年ほど更新されていないので気になっていた。このサイトに限らず、閉鎖という積極的なアクションは取らないまでも、事実上の閉鎖といえる放置状態になっているサイトも少なくない。ここ5年でそうしたサイトが急増している気がする。

さもありなん。優秀なサービスが増え、それらはオンラインで簡単に設定できる。CGIのようにある程度の認識を必要としない。更に個人で作れるCGIやプログラムでは天井に限りがある。使う側はわからないだろうが、その労力たるや想像を絶するものだ。結果ユーザーのリアクションは弱くなる。制作意欲も失せるだろう。

私が10年前Webの仕事でもやろうかしら?と思い色々トライしていた頃、「こりゃ無理だw」と断念したのがまさにソコであった。「そのうちほぼ無料になる」着眼点通りになった。個人や小規模で、この状況下でも尚やれるとしたら、余程好きであり、生活に直接影響がないか、余程才能があるか、その両方か、である場合だろう。それでも世界は回っている。次々に生み出してはまた廃れていく。

それらを利用させてもらっては、「凄いなぁ、ありがたいなぁ」と思う。私はどんな還元が出来るのか?今はせいぜい親族にパソコンを教えたりするぐらいなものだ。それもまた小さな還元だと思う。少なくても、甥は喜んでくれた。

そういえば、数年前師匠の近所の風呂屋が閉鎖された時、憤りを隠さず「身過ぎ世過ぎのためにやってるからこうなるんだよ」と両断したことがあった。私は「でも先生、実際生きるのにはお金が必要ですよ・・」と言うと、「そんなことはわかっている。何のために仕事をやるかだよ!廃業するってのは、お金のためにやるからだ」と応えた。(え?・・何が違うんだ)と当時の私の頭には「?」がついたが、今になりようやく意味することを理解できる気がする。「私はなんでもかんでも頭で考えすぎて動物性が足りない」と反省することもも増えてきた。野獣のごとき反射速度がこれからの時代は一層必要と思える。