2010年5月10日月曜日

本音

父から電話があり、初めて記事を褒められた。
書道会の会誌での記事だが、どの記事かはわからない。
「ようやく本音が出たな!」と笑いながら喋る父。
どの部分を指しているかわからなかったが、思い当たる節がある。
「ああ、良かった」
と心から嬉しかった。その言葉には嘘や体裁がなかったからだ。

今回から最低限の距離感をキープすれば本音でいいだろうということを意識した。
体裁ばかりでは実がない、さりとて過ぎれば本音というか単なる愚痴になってしったりする。
頭でかけば理想ばかり書いてしまったりして「そう書いているお前はどうなんだよ?」という点でブレてしまう。それが垣間見えてしまい後で自分が読んでも「頭だけで言っているなコイツ・・・あ、俺かw」となる。自分自身の姿とあまりにブレが大きすぎた過去の記事を反省して書いた。結果的に何度も書き直した。気づいたら煮詰まった上で書けた。不十分であるが、今の私にはこの程度しか書けないのだろうと甘受した。良かった、会誌で記事を書いて初めて良かったと心から思えた。

書き方を替えた最大の理由は、体裁ありきではやはりツマラナイという至極当然の部分を感じたからだ。
書が生のままの自分が表出されるように、文章もやはり生のままが出ていなければなんら面白みがない。
しかし文章は文章化する時点で知を経過しているためどうしても書いているうちに歪んでしまう点で非常に難しい。書は技術がない時点で表出しすぎる自我を抑制することは不可能である。それ故に面白い。文章は逆で知そのものなので、逆に生の自分を表出させるのは難しいと思う。
つまらない体裁や理想論は抜きに自分という生の素材を反映させながら最終的に予定調和ではなくまとめる。何はともあれ父に言った「それは良かった」に尽きる。褒められたからではない、私の主旨通りに伝わりながら、「お前の本音が出ていて面白い!」と読んだ相手に少なからず感動があったことが何より嬉しかった。