2010年8月8日日曜日

父からの手紙、父と私

親というものは本当にありがたい存在だ。この歳になるとつくづく思う。オッサンになった今でも子供のように(事実子供だし)父は手紙をよこしてくれる。世代的な含みをもたせた回りくどいともとらえられる父の手紙は大変ありがたい。そのものズバリを言うような年齢じゃないことを配慮し、それとなく父は書いている。その最後にこう書いてあった。

「人の成長は本人の意欲と言う欲望が何らかの刺激で進むのでしょうか。凡人は天才ではありませんが僅かな意欲を掻き立てうるかで 人生に変化が生まれるのは確かでしょう 健闘を祈ります 親にはそれくらいしか出来ません」

・・・滲みました。
この場合の天才とは所謂抽象的なたとえではなく、野尻先生のことでしょう。
凡人とはまさに私のことです。
これが会話になると感情が先立ってしまうので、
「やる気だせボケナス」
ってなってしまうのでしょうが、手紙だとこうなります。
茶化している場合じゃない・・・ありがたいです。

最後の「健闘を祈ります」に全てが集約されていると思いました。

申し訳ない。
そして、本当にありがとう。


うちは昔から家族と仲が良いとやたら他人様から言われます。しかし、家族に歴史ありで決して順風満帆な家族ではありませんでした。むしろ、逆と言えるでしょう。何百回ともなく空中分解にしそうになったものです。それを支えたのは母であり、母を支えたのは私でした。とにかく荒れに荒れた家族でした。

嘗て私は父のことを赤鬼と思っていました。赤鬼は普段おらんくせに、唐突に現れたと思うと必ず暴れました。味噌汁をこぼしただけて、まるでこの世の終わりのスイッチを押したがごとく大騒ぎし激怒する父は異様でした。そして大騒ぎした挙句に家族の心に傷跡を残し嵐のように去っていく。リアルに暴れるのであれば、若さもあいまって力には力を、とはむかったと思います。実際、「迎撃するは我にあり!」ってぐらいな調子で「手を出すなら出してみろ!」と機会を伺っていました。お互い手を出さなくて本当によかったと思います。

赤鬼が私の中で人間になったのは、何度か戦った後のことです。第一次赤鬼大戦は、私が将来の行末に悩んでいた高校三年の頃(映画の世界に憧れがあった)だったかに記憶しています。赤鬼との戦いは徐々に過激さをまし、お互い平和主義者なので手足こそ出さないものの相手を射殺さんばかりの魂をのせた鋭い眼光と欧米人並の激しいアクションをもって大げんかを繰り広げます。終いには、まるで下手な三文役者ばりに号泣しながら互い心情を吐露し、滝のように涙を流しながら「この根性なし!屁理屈くそ野郎!うんこたれ!」(こんな雰囲気)と罵りあい、最後には疲れて寝るを繰り返しました。

私はこの何度かの言い合いの中で父の本音を知り、「赤鬼も人の子だったんだ。親も人の子なんだ」と感じ入り、その瞬間から赤鬼はいなくなりました。その思いは驚くほど私の人生に影響を与えた気がします。親とはほんとうに有り難い存在です。