2010年8月16日月曜日

母の短歌

正月、母の短歌本を出そうと父と意気投合した。
短歌本は暇をみては作業をし2年後あたりを目処に自費出版化する予定だ。
父とはあらゆることを語らうが、私と違って知識も豊富で造詣も深いので実にためになる。視点が私等の世代とか異なっており実に興味深い。

母は歌の先生だ。厳密には弟子をとっていない。本人は先生ではないと言うが、所属団体から先生として認可されているので先生と言っても支障はないだろう。短歌をはじめて20年、先日概算したら1冊にすると300頁ほどの歌集となる。
以前より自分の歌集は人生の集大成として出したい旨の話を聞いていた。時を同じくして、近年雑誌や新聞から歌を出さないかとの依頼が舞い込むことが多く相談もされた。本人としては迷っていたようだ。私は「弟子をとるきがないのなら止めた方がいいこと、もしくは記念で出したいなら出してもいいけど、恐らく一旦だしたら度々とこの手の電話がかかる旨を話した。当然ながらお金もかかる。母は即断して出さないと決めた。

「記念なら、そのうち歌集を出すからいい」と言う。

人生に「そのうちとお化けは出たためしがない」、そこで「なら、出そうか」と私。
父も「そうだそうだ、手伝うぞ」と珍しくのった。
業者に依頼すると普通に約100万~かかるこの手の自費出版だが、幸いなことにこの手のことに私は慣れていた。豪勢につくっても30万ほどで出来る目算がある。父の乗り気は半端ではなく、老体に鞭うって来る日も来る日もパソコンに入力をして、時に涙を流し、時には歓喜の声を上げ母の歌を入力し続けた。
「2年後なんて悠長なこと言ってたら出来ないぞ!」と父。
さすが昭和初期の企業戦士だ。老いてなおそのスピリッツは健在である。
そんな父の猛牛ばりの発言をヒラリと交わしつつ歌集の準備をすすめる。
私の師匠は常日頃「いいものを作ろうと思ったら焦ってはいけないよ」とおっしゃる。

また、歌集が出てきてしまい、父や母が「我が人生に悔いなし!」と燃え尽きてしまっても困る。実際この手の作業が終わると意に反して燃え尽きてしまう人は少なくないと思う。今のうちから母には「1冊だけじゃなんだから、数冊は出したいね」と敢えてハードルを上げておく。そういう意味でもノラリクラリとやった方がいい。私もバリバリの企業戦士なので、本来なら速攻で仕上げたい。実際そんな衝動に駆られるが、これも修行とコントロールをする。内心では、馬に乗って「ヒーハー!戦じゃ!馬をひけー!」と雄叫びを上げる自分と、川辺に寝っ転がって「はいはい元気だねぇ。うは団子うまw餡子最強w」っていいながら団子を食べる自分が住まっている。

暇をみては編集を繰り返すが、実に面白い。読みだすと止まらず、母の人生が走馬灯のごとく脳裏に描かれる。心情が手にとるように理解できて、読みながらグッときてしまった。我が母ながら才能が溢れている。性格の素直さ、純真さ、聡明さが遺憾なく発揮されて、「親父も、女性を見る目だけはあったんだな」と生意気にも思った。
実際は単に運が良かっただけだと思う。母からしたら「くそーやっちまったー」ってところだろう。(笑)実際のところ、母親の恋話をいくつも聞いてきたが、「なのになぜ?」と素朴に聞き返してしまうほど悪いクジを引いた気がする。他にはいいクジばかりだった。「これほど当たりがあったのになぜ敢えてハズレを引く」と驚いてしまう。(父さんすまない)しかし、これが人生のミラクルだ。私の引きの悪さは母親譲りなのか?とさえ思った。両親の出会いの秘話はまるで昭和のドラマのように衝撃的だ。まるっきり運命のいたずらである。私はご先祖様に呼ばれたのだと思うことにしている。母は選ばれたのだ。

ともかく、面白い。アルバムはあったことを思い出すにはいいが、その時の心情は詳細には思い出さないものだ。しかし短歌は克明に心情が出る。どれほど辛かったのか、読みながら涙してしまう歌も数多くあった。
短歌もいいものだと、自分も何か歌おうかと思ったら無理だった。頭に型がまるでない。やはり、型がないと陳腐なものしか出てこない。書と同じである。しばし、短歌を読みふけるのもいいかもしれない。俳句にしろ、短歌にしろ、やる人間の気がしれないと思っていたが、母のお陰で世界が少し広がりそうだ。

母の短歌に私は全くといっていいほど登場しない。母曰く、
「お前は何も問題がなかったから歌の書きようがなかった。これからはなるべく書くよ」
と言っていた。書くことがないのもまた表現だと思う。無いのに書こうとするのは意味をなさない。そこには何ら感動はないだろう。事実、無理矢理私のことを歌った歌が近年の作品に唐突に出てくるのだが、まるで駄目だ。単に事実を書いているだけで何も感慨が込められていない。ないのもまた表現である。これでいいのだ。私は家族の中では事件の多い人生を過ごしてきたと思うが、心配かけたくないためもあり一切口外しなかった。何より私は同情が嫌いである。同情は相手を貶める行為とさえ思ってしまう。

母の歌を通して気付かされたことがあった。それは、
「悪いニュースもなかったが、いいニュースも無かった」ということ。
我が人生に気付かされた。がっくりと膝をつく。
他者に喜びを与えられるような存在になれればいいと思って生きてきたが、全ては結果が物語る。人は思うようには生きていないものである。