2010年12月1日水曜日

確固たる力の存在

親は子に、自分のことは全く見なかった、知らなかったことにして、
誠実であれ、正直であれ、勤勉であれ、夢は必ず叶うと説き、願う。
また、社会は平等であると。
TV番組や漫画などもそうだ。
自分たちのしてきたこと、通ってきた道はさて置いてとうとうと歌う。

が、現実には大いなる隔たりを感じずにはいられない。
そこで子供は育つにつけ大いなる絶望に打ちひしがれるのだ。
「嘘はいけないよ」と言いながら、大人は平気で嘘をつく。
自分の嘘を省みず子供を叱咤するのだ。

大人は子供に理想像を押し付け過ぎる傾向にある。
世の中が絶望的であることを、とうとうと説く必要はないと思う。それもまた思い込みにつながるからだ。
幻想を植えつけることは酷だとお申し、過剰に現実を推測で歪めるのも同じだ。
子供たちは遥かに現実を受け止めている。大人の力や知で歪める必要はない。

先日ブッシュ前大統領の書物がでたとラジオで聞いた。海の向こうでは大ベストセラーになっているようだ。
彼は無類の本嫌いで、本なんぞ読まないことで有名だから、出版されないのではと言われていた。
勿論ライターの手によるものだそうだが、500頁(?)というページ数はさて置いて、その概要を聞いて愕然とする。

大人はかくも私利私欲の塊でかるかを思い知るからだ。同時に、あそこまで書いておいて、平然とする厚顔無恥さに甚だ驚きを隠せない。更に、それで済んでしまうという現実にも。一昨年のリーマン・ブラザーズの件といい、先日の北朝鮮の砲撃といい、権力のある人間は誰も責任をとらない。それでガーガーとがなりたてるのだ。己が正義であるかのように。

そうして大人たちは自分のしてきたことを差しおて子供に夢や理想を押し付けようとして更なる悲劇のみを量産する。
その挙句、手に負えなくなると「お前は私の子ではない」と言ったりする。なんとも身勝手で恐ろしい話だ。そして現実である。それらは全て弱さ故のなせる技なのだろうと思う。弱気ものを責めても何も生まれない。今あらためて自分の足元を見つめたい。自分が何か出来るとしたら、それは自分にたいしてだけである。自分が変われば、自ずと自分と関わる世界も変化する。それが自然というものだろうと最近は思える。性急かつ無理に力を加えれば当然強く歪む。しかし、ゆっくりと力を加えれば自然となじむ。んなことを、とうとうと言っていると

「あんた達観しすぎなのよ!その年齢でそこまで達観してどうするのよ。もっとガツガツいかないでどうするの!!」
と、母に叱責されるw
それもまた面白い話だ。げに世の中はままならない。