2010年12月1日水曜日

歳のせい

今日歯医者で担当の先生と「年齢と共に一年がはやく感じますねぇ」と話しあう。
勿論、先生は私より遥かに若いのだから、私たるやあっという間である。くしゃみしている間に1年が過ぎたような気分だ。
1月2日に、実家で夕闇を眺めながら、「今年も始まったか!」と言ったことが先週のようだ。

しかし、そんな話を叔父に言うと、
「何をその若さで言っているんだい。70歳も越えたらそんなもんじゃないよ!!」と言われ二人で大笑いとなる。
たしかにそうだ。歳と共に一年が短く感じる。それは脳の老化と大いに関係があるが、それだけではないと思っていた。
というのも、充実した日々を歩もうが、チンタラした日々を歩もうが、やはり一年は短いと感じたのだ。

「なぜだろう?」

甥を眺めながら、「あの頃はどうだったのだろうか?」と思いを馳せる。
私の横でヨチヨチと身体を揺すりながら歩き、木彫りの彫刻の笑顔と、私の笑顔が同じだと指を指していたあの子も、もう大人と大して差がないと思えるほど一面では達者になった。よくよく彼を観察していると、意外なことに気付かされた。あの頃も一年はあっという間だったのだ。唯一の違いは、

「子供は過去を振り返らない」

大人はいちいち、今年はどうだった、ああだった、去年は一昨年はと過去ばかり振り返るが、子供はいちいち過去を振り返ったりましてや感傷にふけることはない。そもそも覚えていないことの方が多い。これは意外な気づきだった。フレッシュな脳なのだから、アレモコレモ覚えていそうなのだが、現実にはほとんど覚えていないのだ。冬の寒い公園、日韓共同ワールドカップ開催年だった。二人でゲラゲラ笑いながらサッカーをしたことが、つい先日のことのように思い出せる私に大して、「全く覚えてない」と甥は照れ笑いを浮かべる。彼は余程楽しかったのか、私とのサッカーを絵に残して私にくれたほどなのに微塵も覚えていないのだ。これには感動すらおぼえる。

子供は未来を予測しない。
過去も振り返らない。
子供は今の連続に生きているのだ。過ぎ去った過去など興味がない。
今が全てである。
だから同じように一年は短くとも、大人のように嘆いたりはしないのだろう。
そうえいば自分もそうであったと思い出した。

刹那的な意味ではなく今が充実していればそれでいい。
だから大人も「今、この瞬間」に注力すれば一年は短くとも、子供のように輝いて生きていられると感じた。
そう思うと、一年が早くてもそこに切なさは不思議と感じ無くなった。
彼らのように自然と笑みがこぼれた。