2010年8月6日金曜日

狂っている日本

「偽善エコロジー~「環境生活」が地球を破壊する~」武田邦彦 著
を読み終える。
私はそれこそ今のエコブームが始まる15年以前より分別生活をやっていた。
それこそ親には、「あんただけやっても無駄だ」とか言われていた。
そもそも開始した動機はごくシンプルな考えだった。
「使えばいつかなくなる。押しこめばいつか溢れる。」
エコブームがきて、「ホラ、いわんこっちゃない。自分を小馬鹿にした連中よ愚かなり」と思い傍観していた。
しかし、エコブームが加速し私はエコ生活を半ば止める。その動機になったのは親父の一言である。
父は科学者畑の人間だった。
「プラスティックのリサイクルなんて幻想だ。不可能だ。科学を学んだ人間なら誰でもわかる」と父はリサイクル当初激昂していた。
その時「何いってんの!だったらなんでリサイクルがどーのって国が言い出すのよ。出来る道筋がたったからシステムが構築されたんでしょ」と私。それに対して、
「プラしティックはそんなに簡単じゃないんだ。ペット樹脂だってリサイクル出来るか疑問がある」と父。
「じゃーなんでやるの?」
「わからん」
当初は、政府のお歴々だって相当優秀な科学者や工学者を交えて言っているのだから、いくら企業の研究所に若かりし頃はいた父とはいえ、そんな筈はあるまいとタカをくくっていた。しかし、以後父とのそのやりとりが10年頭から離れなかった。

本当にリサイクルしているのか?
そもそも本当にリサイクル出来るのか?

エコブームが加速するに従い、一般人からみても明らかに矛盾することを政府や企業はやりだし、私の不信感はピークに達し、ある日エコを半ば放棄することにした。見せかけ上、ゴミ出しのルールや法律上抵触するものは守る義務があるので仕方なく守る。下々の業者の方に迷惑をかけたくない。どこの世界でも下々の方々が一番大変なのだ。それ以外は委細構わないことになった。

それは、何か本質的なことが間違っている気がしたからだ。
大いなる嘘が見え隠れする。
例えば、
「エコのために車を買い換えよう!」
「エコのために新しい冷房、冷蔵庫を買おう!」
「電波のエコのために、地デジを導入しますから、エコなTVを買って下さい!」
どういう言い分だ?本質的におかしい。全ては己を肥やすための口実であることは明白だ。新しく物が増えれば資源をそれだけ消費していることになるし、その上でゴミが排出されることになる。ゴミの現状はリサイクルされていないばかりか、途上国へ押し付けられあたかも最終処分場であるかのようだ。使えばいつかなくなる。押しこめばいつか溢れる。小学生でもわかる当然のことだ。
しかし、現実にはわからない大人が多いようで、エコだからといってまだ使える冷蔵庫を捨てて買い換える。そんな人が「エコだなんだ、分別がなんだと」肩で風をきる。何かがおかしい。

別に自慢でもなんでもないが、私は90年製のTVをまだ使っているし買い換える予定はない。中古で買った冷蔵庫を更に10間使っている。理由は動くからだ。動くから使う、ただそれだけの理由だ。ミニコンポも18年使っている。あちこち壊れてきたが自分で修理できる範囲のものは修理して使い続けている。まだ、ラジオとCDは動作する。当たり前のことだと思っていた。動くから使う。だから買い足さない。先日PCモニターも壊れたが、性能限界を越え映らなくなるまで使った。16年使った。別なモニターも映像が歪み、色が正常じゃなくなるまで使った。それまでは限界まで調整し続けた。13年使った。そういった私の行為に、親や他人さまからは買い換えろコールを随分された。古臭い、みっともない、なんだかんだと、言われたが「まだ動くじゃん」と言う私。「動いているうちに入らない」と相手。こうした、使えるから使うという感覚は日本人が昔からもっていたもので、これが「もったいない」精神だと思った。作ってくれた人の才能と努力に感謝、運んできてくれた人に感謝、資源を使わせてもらい感謝である。だから、動くうちはとことん使う。当然であり、今でもあるものだと思っていたが、最早日本人の心には消え去ったようだ。

この本を読み、「やはりか・・」と大いに落胆した。
リサイクルは実質絵に描いた餅に過ぎないこと。父の発言は正しかった。
政府や自治体、企業、専門家は自らを肥やすことにしか興味がないこと。
現代日本人の圧倒的大多数はミクロ的思考のもとでしか行動をしていないことも再確認した。
そして、自分が感じていた
「結局は物をなるべく新しく使わない、が一番なのかなぁ」という結論と同じだったこと。

ペット等の生き物ですら同じ現状に心底胸が痛い。私も犬を飼いたい時期があった。今でもそうだ。しかし、自分の諸々のことを考えると負担にこそなれ全うできそうにないと断念した。ニュースでみるように現実に放棄されたり殺処分される犬猫の多いこと。この本では犬20万匹、猫30万匹が毎年殺されているそうだ。毎年である。現実に目をしない限りその重さは計り知れないだろう。嘗て、給料を手渡しでもらったとき、その有難味は骨身にしみた。お金を払う時、札を出す時の遣る瀬無さもカードで払えば平気になる。

本の一節を引用させて頂く。
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「もったいない」という言葉があります。最近のように多くの人が物にとりつかれている社会では、物を節約するためにもったいないと子供に教えることになりますが、私が母から教えてもらった「もったいない」という言葉は、心の問題でした。(中略)感謝の気持ちであって、自分が生かされているのは自分を支えてくれる多くの人がいるからだ、という心からでた言葉でした。
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最後にもう一節。
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「好きな人がいれば、一杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことがきる。もし好きな人がいなければ、電気街に行ってパソコンを山ほど買い、一人で家にこもるしかない」(中略)要は心が満足すれば人間はそれほど多くの物を必要としませんが、心が貧弱であれば何とかして心の隙間を物で埋めようとします。(中略)現代社会は人間的ではなく、生き甲斐を見つけにくく、心が満足しないことが原因していると私は感じています。
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今の日本の大人達はバランス感覚がとてつもなく狂っているなぁと思う。それは当然外から見たら尚更であり、海外の人から見ればそれはそれは不気味にすら見えると思う。外からどう見えるかというのは基本的に気にする必要はないが客観性を生む。客観性を得るためには外からの声は必要である。「日本人はどこへ落ち着くのだろう?」と考えると、それだけでも生きる価値はあるなと思えてくる。この民族のとりあえずの結論をみたい。このエンディングに明るい兆しは今のところ一切ない。