2011年2月25日金曜日

幸福、主観と客観

「無知って凄いよねぇ。知らないほうが幸せかもねぇ」

これは大学時代のドイツ語の先生の言葉だ。
私はまるっきり不真面目な生徒だったが、
この言葉は凄い真理を指し示しているなぁと思い、
それ以後よく思い出す。

無知はたしかに凄い。

知らないのだからどうしようもないし、
知らないのだから反応がない。
それに世の中には知らないほうが幸せであることに満ちている。
事実は往々にして人心を傷つけることばかりだ。
それを知ってしまった心痛たるや想像に難くない。

先日のニコニコ動画であった生放送、
wikileaksのジュリアン・アサンジ氏の特集をやっていたが、
面白いことを言っていた。
暴かれた内容とその反応について、このようなことを仰っていた。

ロシアがやっていたら、
皆「やっぱりね」と思う程度のことだけど、
あれだけ自由だ平等だ言っていた
アメリカがやっていたから大騒ぎになる。

といった発言だった。
私も見ながら「その通り!!」と膝を叩く。

話がそれるが、
ロシアの石油王投獄事件を知った時は、さすがに「そこまでやるか・・」と
背筋が寒くなった。
とはいえ、あくまでやりそうな延長線上の想定的位置ではあった。

これはプー○ン氏率いる大物の食事会において
「政治に興味ある方はおるかな?」みたいな質問に対して
唯一手を上げたロシアの石油王がその場で拘束され投獄されている。
おそろしや。

私は事実をつきつめたいタイプだが、
世の中には事実とは向き合い得ない人も少なくないと思う。
向き合えない上に、無視もできないのかもしれない。
私の場合、事実があまりに自分にとって不利、不幸なことを示していても

「事実は事実としてとりあえず横においておく」

それが出来る。
長い間、誰しもが当然できると思っていたのだが
どうやらそうではない人が相当いるという客観性を数年前に獲得できた。
これが出来ずにいるとストレスになるのだろう。
それならば、いっそ知らない方がいいかもしれない。

私は、出来るはずもない夢や希望を目の前に提示されるより、

「今のあんたに出来ることはこれだけ」(・∀・)

って提示される方が安心する。
何故なら、その範囲のモノを駆使してやればいいからだ。
無いモノはどうしようもない。
悩みようがないと考える。

だから、リビアで起きている内乱や、
ニュージーランドでおきた地震に胸をいためながら、
実際は見た目上何もしていなくてもストレスにはならない。
その思いを自分の出来る範囲内で反映させればいいと考える。

他人の敷居で自分の価値観や正義感を振り回すのは
余程の覚悟や知識がないと間違いなくやぶ蛇になる。
やぶ蛇ですめばいいが、往々にして火に油を注ぐことになると思う。

近場で言えば両親の生活に口を出すことでさえ困難だ。
そうなっていることは、二人の間にそれなりに長い間培われた蓄積の結果得られた安定感がある。
それは自然と同じように思う。
自然は長い時をかけ、結果的な調和を見出す。
調和には時間がいる。
それはけして短くはないように思う。
それと同じで、
いわば外部から来た息子が、自分の価値観で「あーだこーだ」言う筋合いではないのだ。
例えその息子の意見が客観的には正しくても、
二人の間では正しいことには思えないのだ。

「個人の幸福を願うなら主観につきる」

しかし、
そのままでは社会や他者とのズレには気づかないだろう。
客観的価値を受け入れなければそのズレは補正しがたいほどに大きくなる。
個人は社会という大きな枠組の中で生きている。
大きな枠、自然から離れて生きることは出来ない。

いずれ気づくだろう。

知ってしまったその瞬間の不幸さたるや恐ろしいに思う。
いずれ気づくのであればやはり時々振り返るぐらいがいいのかもしれない。
昔の日本人は凄いなぁと最近よく思う。

「老いては子に従え」

親子であればまさにコレだと思う。
老いはより主観性がまし回りが見えなくなる。
それは社会との離別を意味しているような気がする。
それは自然なことに思える。老いはいずれくる死を意味するからであり、
社会からの勇退を徐々に準備しているのだと思う。
ただ、それがいき過ぎれば社会との摩擦は避けられない。
だから、社会との接点をより多くもつ子の声に耳を傾けよ、ということではなかろうか。
そこで主客均衡を保つ。

でも、
まずは自分が幸福であることが何よりも大切だと思う。
自分が幸福であるためには、主観に徹するのがよいのかもしれない。
主観とは他者に求めるものではない。
他人にあーしろ、こーしろ、という動きは、
主観になれていないのではなかろうか?
何故なら他者は客観的存在であるからだ。
圧倒的な主観性を元にしながら、
客観性の声に耳を傾けることを忘れない姿勢にあるのではなかろうか。

主観に徹するのは性格的な素質がないければ訓練が必要だと思う。
なかなか主観に徹っするのは難しいと日々感じる。
情報を意図的に遮るのも一つの手だろう。