2011年5月26日木曜日

蔓延する自分さえよければのという発想

科学者の日記110525 縦割り:子供の立場は誰が?
http://takedanet.com/2011/05/110525_9881.html
子供の被曝限度を定める理由は、「できるだけ多く被曝させる」のではなく、「子供を被曝から守る」ためである.
食材の被曝限度を定める理由は、「できるだけ多く被曝させる」のではなく、「子供を被曝から守る」ためである.
でも、どうもそうなっていない。放射線の被曝を受ける子供の立場になった計算を見たことがない。
基準を見ると水道以外は「自分の職務範囲」だけで被曝限度になるように計算をしている.
(中略)
日本の大人はどうしたのだろうか?
地方自治体はもちろん、どこでもかしこでも、
「被曝しても安全だ、放射性物質の含まれている野菜も安全だ.自分だけ助かろうとするのは汚い。」
という大合唱である。
(中略)
私はこのような歪んだ日本社会を元に戻したいと思う.人間としての心を持ち、他人の健康に気を配り、高潔な魂を持つ人たちの住む国で暮らしたいと願う.
そのために、1年20ミリなどと文部大臣が言っても、それを「無視して、子供達のために1年1ミリ」を守る活動を続けたい.
そしてそれを通じて、「他人を痛めても、自分だけ得をすればよい」という社会から、「他人の痛みが分かる、誠実みのある社会」に近づけたい.
(平成23年5月25日 午後5時 執筆)
武田邦彦

この言葉は私が社会人になってからずっと感じていたことです。
残念ながらあらゆるところに蔓延っています。
これを読んで「そう感じていたのは私だけじゃなかったんだ」と気づきました。
これは時代の潮流なのかもしれませんが、この歩みは人間が幸福になるとは到底思えません。
もし幸せになる歩みなら皆朗らで心にも余裕があるでしょう。
物質的には過去最も豊かなのは間違いありませんが、幸福感で言うとどう贔屓目にみてその真逆です。
唯我独尊という言葉を想起します。
我が最も尊いということですが、これは我が最も尊いように貴方も尊いという意味だと思うのです。
私も歪んだ日本人に少なからず流されないように、
人として心をもち、高潔とまではいかないまでも、手を差し出せる存在でありたいと願います。
一人でも多くの日本人がその心を持つように願うと同時に、小さからぬ力になれればと思います。