2011年5月26日木曜日

倫理崩壊

(武田邦彦)科学者の日記110526 みんな死ぬのだから・・・という論理を考える
http://takedanet.com/2011/05/110526_b064.html
彼らの言うことに耳を傾けてみると、その中心的な考えは、
「人間はどうせ死ぬのだから、放射線で死んでも良い。死亡率は100%、ガンで死ぬ人は30%だから、1年100ミリで0.5%が死んでも問題は無い」
ということだ。
(1年100ミリの被曝で、ガンが0.5%増えるというのは、ほぼ一致している.1億人で1年に50万人の年齢に無関係の新たなガン発生である。)
日本人が30%もガンで死ぬようになったのは、「人生50年」から「人生80年」になり、歳を重ねると遺伝子が傷ついてガンになる確率が増えたことによっている。
だから、最近では「歳をとったらガンになる」ということが判ってきたので、「生活習慣病」などに気をつけてできるだけ発症時期を遅くするようにという方向に進んでいた。
(中略)
1)   人間はどうせ死ぬのだから、早く死んでも良い、
2)   意志があっても無くても危険性は同じである、
という新しい考えが提出されている。
私は、このような考えはまだ納得していない。
人間はできるだけ健康で長生きすることが良いと思うし、人間の目的は死ぬことではなく、毎日の生を楽しむことにあると思っている.
また、世の中には危険なこともあるけれど、自分の意志で他人に迷惑をかけないなら(お酒を静かに楽しむなど)、それは人間として許されるが、酒の飲めない人に強制的に飲ませるのはダメという考えだ。
・・・
この衝撃的な新しい哲学は、自己矛盾を含んでいるように見える.それは「福島原発事故が衝撃的であるから、新しい哲学が必要だ」というのだから、「被曝するのは衝撃的だ」ということになる。
なぜ「被曝するのは衝撃的」なのかというと、「健康を害するから」、「ガンになるから」、「ガンになるのは怖いから」ということだ。
従って、新しい哲学が誕生する理由と、その哲学が提示してくれる新しい考えが相互に矛盾していると感じる.
でも、現実には、福島原発が起こって、突然、新しい哲学が提供され、それを多くの指導者や知識人が支持している.
結果的には、この考えによって現在、「子供達を被曝させる」ということになっているが、それも含めて、早い内に新しい考えの方と深い議論をしてみたい。
福島原発の事故が終わったら、ご意見を変えることはないと思うが。
学問の枠を超えた事故が、良心すらも完全に破壊してしまったのかもしれません。
恐怖のあまり自分を納得させる為に生み出された哲学。
そう考えると、なるほど、と思えます。

よく知っているだけに枠を超えた時の恐ろしさは我々の非ではないのかもしれません。
素人は枠を超えたら逆に理解不能とキャパオバーで平気になってしまいます。
完全に絶望に打ちのめされるということはこういうことのように思います。

でも、諦めたらその時点で全てが終わりです。