2011年6月11日土曜日

スペインバルセロナより村上春樹から(一部文字おこし)

村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット1/4(11/06/10)


原発に関しては2/4の5分辺りから↓
村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット2/4(06/10)
http://www.youtube.com/user/ANNnewsCH#p/u/8/SL9LnI0jK0k

「黙認した我々自身を糾弾する必要があります。」(2/4)


村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット3/4(06/10)
私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、また、その力の行使を防げなかったという点においては全て加害者でもあります。」(3/4)5秒辺り
「今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し、生活を破壊しているのです。どうしてそんなことになったのでしょう?」(3/4)40秒あたり 
 「私たちが一環して求めてきた平和で豊かな社会は何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう。答えは簡単です。「効率」です。」(3/4)1分辺り 
「原子力発電に危惧を抱く人々に対しては『じゃあ、あなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンを使えなくてもいいんですね。』という脅しが向けられます。原発に疑問をていする人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが張られていきます。 そのようにして私たちはここにいます。」(3/4)2:16秒あたり
「日本が長年にわたって誇ってきた技術力神話の崩壊であると同時に、そのような挿げ替えを許してきた私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。」(3/4)3分辺り 
「安からに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから。私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。」(3/4)3:20辺り 
私たち日本人は、核に対するNOを叫び続けるべきだった。それが僕の個人的な意見です。私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電にかわる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求するべきだったと思います。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する私たちの後ろ言き責任のとりかたとなったはずです。それはまた我々日本人が世界に真に貢献できる大きな機会となったはずです。」(3/4)4:20辺り 
「損なわれた倫理は規範の再生を試みるとき、それは私たち全員の仕事になります。それは素朴で黙々とした忍耐力を必要とする作業になる筈です。」(3/4)5:20辺り
村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット4/4(06/10)
「私たちは夢を見ることを恐れてはいけません、理想を抱くことを恐れてもなりません。そして、私たちの足取りを「便宜」や「効率」といった名前をもつ最悪の犬たちに追いつかせてはいけません。私たちは力強い足取りで前へ進んでいく「非現実的夢想家」になるのです。」(4/4)2:40辺り

賞金を東日本大震災被災者および原発事故被災者に全額寄付すると述べ、締めくくった。



(この映像を受けて私見)

全てが含まれていますね・・・。今の日本人の、日本社会の、弊害、過ち、その全てです。

ロクすっぽ読みもしないで「村上春樹の小説なんて読むきないねー」なんて今までいってスイマセンでした!!読んでないだけで何気に何冊か持っておりますので、今からでも拝読させて頂きます。今までは「薄っぺらい文学風ロマンチスト小説なんじゃねーの?」とか、毛嫌いしてました。このスピーチで「違う」とわかり、反省しました。

ドイツが脱原発の道を進んでいるのは世論の力です。
国や、政府や既得権者の自由意思ではありません。マスコミは、それでもドイツは他国から電気輸入しているじゃんとか言う調査不足な番組も多いですが、実際はドイツは電気の輸出も多く、トータルでは輸出が上回っています。

挙句、ドイツが脱原発を決めたのは10年程度前の話であり、福島の事故前からのことです。今ではドイツの世論は80%以上が反対の態度を表明してます。国民の良心が原発既得権者を押しのけ続けていると思えます。まさに、最悪の犬たちを追いやっている。

日本人はどうだろう?その結果が「コレ」なんです。
無関心でいた、誰かがやるだろうとタカをくくっていた、無知でいることを許容した、我々一人ひとりの責任でもあるんです。私はチェルノブイリ事故の前から反対でした。チェルノブイリ事故後、親兄弟、友人知人に問いた時、全員が「お前と違ってそんなにバカじゃないだろう。素人がとやかく言う問題じゃない」と一蹴されました。これは「無関心です」。そんな彼らに深い失望と憤りを感じたものです。しかし、それをいとも簡単に許容した私もまた加害者の一人なんだと大いに反省させられました。

だから京大の小出さんは事故後に原発推進派から、事故を受けて「どうだ、ざまぁみやがれと思っただろう?」と問われたのに対し、彼らに憤りをぶつけるのではなく、「力が及ぼなかった」と自らを反省したのですね。原発推進派はもとより、反対派も含め原発事故は加害者なのです。この意識を良き重しとして、これから生きていきたいです。