2011年7月17日日曜日

武田邦彦:「安全な原子力なら賛成」という立場はあるか?

「安全な原子力なら賛成」という立場はあるか?
http://takedanet.com/2011/07/post_d1e0.html
(引用)

推進派は私を「放射線の被害を正しく伝えるとは何事か!」とうさんくさい目で見ますし、反対派は私を「やはり、武田は原発推進だ」と冷ややかです。
・・・・・・・・・
「原発が安全になるまでは、石炭やLNGなどを使えば良いじゃないか」
「なんで、それほどまでして電気が欲しいのか?」
「200年後に安全になれば、やっても良いのではないか」
という私は、右から左へと大きく変化する社会の中で、またかつてのように孤独になりつつあるようです。

若い頃、私は「バランスのとれた中庸がもっとも優れている」ということをお釈迦様に習ったのですが、それは違っていたのでしょうか? 

いや、間違っていないと思います。私はこれからも「額に汗して、楽しい生活」ができる社会を少しずつ目指して行きたいと思います。

(私見)


全く同意です。武田さんを支持します。
日本人はいつの間にか心身ともに英米洗脳化が完了していたようです。

0か1か、白か黒か、敵か味方か、二者択一しかなくなってしまいました。
しかも新型うつ病にみられるように、常に自分は正しい側にいると思い込んでいるようです。
省みることなく只管に他者を攻撃する。一方は絶対悪で一方は絶対善。
そんなことなんてあろうはずもありません。

私も反省するところです。

倫理観の非常に強い人間でしたので、
許せないものは許せない。という考えでした。
結局その考えは破綻をきたします。
自然界に絶対はないのです。
「これだ!」と思っても間違いはあるのです。
その時に、
「すまん!俺が間違っていた」と心から誤りを認め頭を垂れることが出来ればいいのです。
そこを、
「仕方ないじゃないか!」とか言い訳を言うのが現代です。
ミートホープしかり、焼肉ユッケ事件しかり、東電しかり、あらゆる点でみられます。
政府も、「メルトダウンは絶対にない!!」と言っておきながら事実はそれどころではありませんでした。
にも関わらず謝罪はおろか「メルトスルーですた」と悪びれる風もなく言い放ちます。

チェルノブイリのかけはしの野呂さんも、ある大学教授とのやりとりの苦悩を振り返ってました。
放射性物質は蓄積されけして排出されないとい主張する京大教授に、(当時の常識)
経験上排出される!と主張し、後に最新の研究で「ある程度排出される」ということがわかりました。
それをつきつけると、「だって仕方ないじゃないか。その時はそう思ったんだから」的な対応とのこと。
彼女の怒りと憤りは想像するにあまりあります。
こうした考えが蔓延っています。

発明したから使いたい。そういう科学者の気持ちは人間の誰しももつ欲求でしょう。
でも危険だから研究に留める。というのは理性ある人間の技でしょう。
人類の底なしの好奇心からすると、原子力はいずれ取り組むテーマであったはずです。
進歩を焦りすぎた、欲に目が眩んだため、理性を凌駕したための技術が原子力に思います。
省みるチャンスです。
一旦鞘に収め(商業運転は全てやめ)、そして研究は続け、一度始まった核反応を完全に停止される技術を開発するとか、放射性物質を非放射性物質にする技術を開発するとか、何より放射能漏れがおきた時に完全に中和する方法を発明するといった道はあるように思います。

一度手にしたものを完全に手放せるほど社会も人間の心も成熟していないように思います。
であれば、一旦商業的な運転は引っ込め、安全に使えるその日まで研究を続ければいいのではなかろうと思います。少なくとも今は到底扱えているとは言えない惨状が眼を覆います。