http://takedanet.com/2011/07/post_9ff8.html
(引用)
私は体が弱く、小さい頃、何回かくじけそうになったことがあった。でも、「貧乏は恥ずかしくない。額に汗しただけで生きることだ」と父親に教えられ、それが支えになった。
今の子供はかわいそうだ。
父親から「乞食になれ」と教わり、母親から「なにもしなくても現金を貰っても恥ずかしくないのよ」と教わり、そして厳しい社会に出て行く。
迷うだろう。
(私見)
この武田さんの仰ることが物凄くよくわかるような気がします。
ボロは着てても心は錦。日本人には昔からそうして貴い姿勢があった筈です。
それが失われて久しくなってきました。
やせ我慢と言いい、負け組と言い、その卑しさときたら留まることを知りません。
お金持ちが勝者なら圧倒的大多数は敗者になることは当然の理であります。
競争は常にピラミッドを形成するため、勝者と呼べるような人は氷山の一角と同じだからです。
にも関わらず、それ以外を敗者と仮定すると、敗者がより下の敗者を蔑むという悲惨な時代。
それが現代の日本のように思います。
卑しさを捨て、貴くありたいものです。
野尻先生は、
「僕が書家として何が良かったかって言うとね、
一つは金がなかったことだと言える。
とにかく、あったらあっただけ書に使う。余ることはない。常にない状態だ。
ないなかでどうやるか考える。それがいい。
ないからこそ育まれる感性があり、
ないからこそ研ぎ澄まされるものがある。
腹が膨れ、満ち足りて、何が生まれてくるかね?
足りているわけだから何も生まれてこないよ。
芸術に携わる人間は、お金がある無いじゃなく、
精神的にハングリーじゃないと。
一般にも言えると思うよ。
貧乏も修行のうちだよ。
貧乏で書けないのならその人は金があってもロクなものは書けないね。
お金がなくて出来ないことは何一つの言い訳にならないと思う」
随分前にそのような話をされたことを思い出します。
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