2012年1月7日土曜日

野尻泰煌:『中山エミリさんのAmitie du weekend』

追記>番組のブログが追加されたようです。


野尻泰煌さん

http://emiriemiri.exblog.jp/17558374/



元記事>

漢字の言霊:『中山エミリさんのAmitie du weekend』
http://ameblo.jp/taikou-nojiri/entry-11128441318.html

本日TFMで11時から師がゲスト出演しました。
このエミリさんの番組は何回か聞いたことあることを思い出しました。
来週の土曜日14日11時からも出演しているようです。



私は師のこうした活動を基本的に記事にしないのですが毎回聞いています。
聞かざる終えないということもあります。
というのも、師はいつも私に「どうだった?」と必ず聞いてくるからです。
11時40分、今回も電話がきました。

師は私とは違った意味で「どうだった?」と聞きます。
感想を聞く理由は「客観性」です。
私は何故そこまでするのか当初は理解できませんでした。

当時そんな私に師は答えてくれました。

「客観性をえるためだよ。
世の中ってのはね、一時が万事なんだ。
何をやるにしても僕にとっては書をやることと同じなんだよねぇ。
だから『どうだった?」』と聞き、
『ああだった、こうだった』と感想を聞くことで客観性を得られることが出来る。
仮に見当はずれもいいんだよ。
客観性を得られるということが何よりも大切なことなんだ。
そしてそこから自らの行為を分析し軌道修正が出来る。
とにかく自分の後ろ姿は自分は見えないからね。
自分は過去を振りかった時にしか把握が出来ない。
でも、過去は済んだことだから今はわからないんだ。
今は変転しているからね。
なるべく今の自分の姿を知るには、出来るだけ今の感想を他人様から聞くしかないんだよ」

と語ります。
その理由のために感想を聞くのです。
驚いたものです。
聞いてなかっとしたら「そうなんだ」それで終わりです。

関連した話で、いつぞやこのような会話をしたことがあります。

「全部そんな調子だとノイローゼになりませんか?」と私が言うと、
「ならいねぇ。
だってノイローゼになるのは負荷がかかっているからだよね。
自分を知らないからおきる。
ノイローゼにならない範囲ですればいい話だよ」
「でも、それだと理想とする像とズレが生じて悩むのことになりませんか?」
「理想は観念だよね。今の自分とはズレがあるよ。
観念とズレがあるのは当たり前だよね。
実像じゃないのだから。
自分を知らないってことだよ。
僕なら
自分が受け入れられるものは素直に受け入れ、
受け入れられないものは横へおいておくよ。
人に出来ることはそれしかないからね。
それが出来ればノイローゼにはならないよねぇ」
「横へおいておけなければ?」
「そういう才能がないと思って諦めるんだね。
諦めればノイローゼにはならないよね」

更に別の日では、

「でも、検討違いな意見が多すぎませんか?」と問うと、
「例えば、『あんたバカだねぇ』と言われたとする。
すると、その人から見た今の私は程度の差こそあれ『バカ』だという判定なんだ。
たしかに検討違いかもしれないよ。
でも、その人は『バカだ』と判定をした理由があるんだ。そこに客観性がある。
何故、その人は自分を『バカ』だと判定したのか、原因を探ることは出来るよね」

一時が万事という言葉の重みを師の発言で痛いほど理解できました。
更に別のテーマでは、

「自分はこんな筈はないって言う人いるでしょ。
あれは勘違いなんだよね。
まさにこんなはずなんだよ。
ただし、今その瞬間はね。
自分の器をその人が活かしきっているかは別問題だよ。
でも、今の自分はまさにソレなんだということを受けれいることからしか始まらないよ。
こんはハズのハズは観念だよ。妄想といってもいい。
妄想は実像とは異なるし、自分のもつ能力とも異なるよ」

そんな話を日々しております。
自分を活かしきることしか出来ることはないんですねぇ。
私も全くもって活かしきっていないことをつくづく思います。
でも、その先は誰にもわかりません。