何気なく手帳を手にとった。
師の奥さんの遺品である。
亡き後先生から「これはマッちゃんにもっておいて欲しい」と手渡された。
ずっと机の棚に置いてある。
使おうかとも思ったが手帳は消耗品なので使うと痛んでしまう。
やめることにした。
時折手にとっては手触りを確かめ、棚に戻すを繰り返す。
当時は読めなかった手帳の中身にほとんど初めて目を通した。
これまで全く気づかなかったが手帳の間に写真が挟んであることに気づいた。
先生の若いころの写真。
書展の会場でとったものだろうか。
それと一緒に何故か学生時代の顔写真が入っている。
生徒手帳に貼るようなサイズだ。
彼女はこれを見比べて一人ニヤニヤしていたのではなかろうか。
としばし眺めて目頭があつくなる。
手帳には小さな可愛い字で丁寧に色々なことが書かれていた。
健康のこと、食材のことに気が向いていたようだ。
スケジュールの雰囲気がどこか私と似ていて不思議な感じがした。
また棚に戻す。
師は自らを語らない。
私にとっては意外なことでもあるが、聞かれても何も語らないことが多いようだ。
「自らのことを自分で語るのは恥でしかない」
と言い沈黙を通す。
先生は何でもかんでも捨ててしまうが、一方ではそうではない。
小脇に抱える傷んだ皮のバック。
「何かあるんだろうな」と思っていたが、
それは師の遺品だったようだ。
「どんなにボロボロになろうと、みすぼらしいと言われようと、僕はこれを一生使うと決めているんだ」
そう言って爽やかに笑う。
「遺品だから」とは言わないだろう。
「気に入っているから」とか答えることが多いのだろう。
恐らく修理しながらでも使うのだろう。
まるで私とは真逆だ。
自らのすぐ傍にはある文鎮が置かれている。
私は、ちょっとその文鎮が普通と違うなと目にとまった。
ある日、気になったので何気ない会話の中で問いた。
「それ何か特別な文鎮ですか?」
「中学の技術家庭の時に文鎮つくったことあるでしょ」
「私は・・・ありませんね」
「そうかい?あったんだうちの中学では。
全くやろうとしない僕に変わって授業中に先生が作ってくれたのがコレ。
とにかく僕は何もやらないから。
『お前は大舞台に出る日が必ずくる。
その時にはこれを持っていきなさい』
そう言って手渡されたんだ。
当時の自分は『ふん』ってな感じだったけどね」
「大事にとっておいたんですか?」
「そういうつもりじゃなかったんだけど、なんとなくいつも傍にあったね。
まー来るかどうかわからないけど、
来なくてもいいけど、むしろ来て欲しくないけど、
万が一にも先生のいう大舞台が来た時には持って行こうと思っているよ」
「きますよ」(笑)
「そんな日は来て欲しくないけどね」(苦笑)
「来ますよ、きっとそう遠くないですよ」(笑)
「来て欲しくないけど・・・マッちゃんの言うようにそんな日が近い気はするね」
「その時はちゃんと出て下さいよ。なんでも断っちゃうんだから」
「ま、その時は仕方がないよ。嫌だけど出るよ」
それから数年後。
あの文鎮が出ることになった。
一昨年のCM撮影で使われたのがそれだ。
公式のトップページでもチラリと垣間見れる。
「撮影の時にはそれを持っていったよ。
書きながらさ『先生の仰る通り大舞台に出てますよ』って思いながらね」
「それスタッフの皆さんも感動されたんじゃないですか?」
「誰も知らないよ」
「え!?言ってないんですか」
「言うわけないじゃない」
「えーーーーーーーーーっ!!なぜに!?」
「仕事と関係ないでしょ」
「えーーーっ!!言ってもいいでしょうにぃぃぃ!!盛り上がるでしょうよ」
「僕はねぇ、我田引水のようなことは一切したくないんだよ。
これだって、私と先生との思い出であって他の人には関係ないでしょ。
マッちゃんが聞くから言ったんであって、
聞かれなければ一生誰にも言うつもりはなかったよ」
「そんなぁー!」
奥さんが亡くなった年。
第十二回泰永書展の作品集(全部配布済)で追悼文集を載せることになった。
師の追悼文を読み多くの方が涙され、先生は声をかけれらた。
書展後、先生はどこか寂しそうに一人つぶやいた。
「追悼文、僕は書かない方が良かったかな・・・」
「なんでですか?」
「まるでお涙頂戴じゃないか・・・そんなつもりじゃなかったんだよ。
ただ事実を書いておきたかっただけなんだ。
皆を喜ばせるつもりで書いたわけじゃないんだ。
皆の追悼文だけで良かった。でも仕方ないか出しちゃったんだし」
あんなに寂しそうな先生は見たことがなかった。
先生はとにかく語らない。
そこにやたら語るのが好きな私がいるというのも不思議なものだ。
師はどう思っているのか?先日もまた聞いてみた。
「マッちゃんは 證人 (あかしびと)なのかもしれないね。
とにかく相手のことをよく理解する能力に長けている珍しい人だよ。
僕のことをここまで把握できる人は彼女以外にいなかったからね。
彼女亡き後はマッちゃんしかいないよ。
親父なんて未だにまるでわかってないから。
僕のように沈黙の人には證人が必要なのかもしれないね。
運がいいからさ僕は」
「先生のお母さんに呼ばれたんですかね?」
「彼女と同じようなことを言うねぇ!!
生前の彼女もそう言っていたよ。
『お母さんに呼ばれた気がする』ってさ。
母はなんでもしてくれた人だから。
僕のために呼んでくれたのかもしれないね」
「でも本音は語って欲しくないんですよね」
「繰り返すようだけどそれ僕の範疇にないよ。
自分で決めることだ。
本音はわかっているでしょ」
「わかってます。語って欲しくはないですよねぇ~」
「知ってることを聞くのは野暮天のすることだよ」(笑)
「すいません、人間時とともに考えも変わりますから、確認です」(笑)
「僕は変わらないよ。嫌なものは嫌なんだ幼稚園の頃からね」
「ま、そうですよね~きっと先生は」
「ただ、嫌でもやらざるを得ない時はやるよ。
周囲が動いてくれたのに、
それで動かないほど傲慢な人間じゃないつもりだよ」
師の奥さんの遺品である。
亡き後先生から「これはマッちゃんにもっておいて欲しい」と手渡された。
ずっと机の棚に置いてある。
使おうかとも思ったが手帳は消耗品なので使うと痛んでしまう。
やめることにした。
時折手にとっては手触りを確かめ、棚に戻すを繰り返す。
当時は読めなかった手帳の中身にほとんど初めて目を通した。
これまで全く気づかなかったが手帳の間に写真が挟んであることに気づいた。
先生の若いころの写真。
書展の会場でとったものだろうか。
それと一緒に何故か学生時代の顔写真が入っている。
生徒手帳に貼るようなサイズだ。
彼女はこれを見比べて一人ニヤニヤしていたのではなかろうか。
としばし眺めて目頭があつくなる。
手帳には小さな可愛い字で丁寧に色々なことが書かれていた。
健康のこと、食材のことに気が向いていたようだ。
スケジュールの雰囲気がどこか私と似ていて不思議な感じがした。
また棚に戻す。
師は自らを語らない。
私にとっては意外なことでもあるが、聞かれても何も語らないことが多いようだ。
「自らのことを自分で語るのは恥でしかない」
と言い沈黙を通す。
先生は何でもかんでも捨ててしまうが、一方ではそうではない。
小脇に抱える傷んだ皮のバック。
「何かあるんだろうな」と思っていたが、
それは師の遺品だったようだ。
「どんなにボロボロになろうと、みすぼらしいと言われようと、僕はこれを一生使うと決めているんだ」
そう言って爽やかに笑う。
「遺品だから」とは言わないだろう。
「気に入っているから」とか答えることが多いのだろう。
恐らく修理しながらでも使うのだろう。
まるで私とは真逆だ。
自らのすぐ傍にはある文鎮が置かれている。
私は、ちょっとその文鎮が普通と違うなと目にとまった。
ある日、気になったので何気ない会話の中で問いた。
「それ何か特別な文鎮ですか?」
「中学の技術家庭の時に文鎮つくったことあるでしょ」
「私は・・・ありませんね」
「そうかい?あったんだうちの中学では。
全くやろうとしない僕に変わって授業中に先生が作ってくれたのがコレ。
とにかく僕は何もやらないから。
『お前は大舞台に出る日が必ずくる。
その時にはこれを持っていきなさい』
そう言って手渡されたんだ。
当時の自分は『ふん』ってな感じだったけどね」
「大事にとっておいたんですか?」
「そういうつもりじゃなかったんだけど、なんとなくいつも傍にあったね。
まー来るかどうかわからないけど、
来なくてもいいけど、むしろ来て欲しくないけど、
万が一にも先生のいう大舞台が来た時には持って行こうと思っているよ」
「きますよ」(笑)
「そんな日は来て欲しくないけどね」(苦笑)
「来ますよ、きっとそう遠くないですよ」(笑)
「来て欲しくないけど・・・マッちゃんの言うようにそんな日が近い気はするね」
「その時はちゃんと出て下さいよ。なんでも断っちゃうんだから」
「ま、その時は仕方がないよ。嫌だけど出るよ」
それから数年後。
あの文鎮が出ることになった。
一昨年のCM撮影で使われたのがそれだ。
公式のトップページでもチラリと垣間見れる。
「撮影の時にはそれを持っていったよ。
書きながらさ『先生の仰る通り大舞台に出てますよ』って思いながらね」
「それスタッフの皆さんも感動されたんじゃないですか?」
「誰も知らないよ」
「え!?言ってないんですか」
「言うわけないじゃない」
「えーーーーーーーーーっ!!なぜに!?」
「仕事と関係ないでしょ」
「えーーーっ!!言ってもいいでしょうにぃぃぃ!!盛り上がるでしょうよ」
「僕はねぇ、我田引水のようなことは一切したくないんだよ。
これだって、私と先生との思い出であって他の人には関係ないでしょ。
マッちゃんが聞くから言ったんであって、
聞かれなければ一生誰にも言うつもりはなかったよ」
「そんなぁー!」
奥さんが亡くなった年。
第十二回泰永書展の作品集(全部配布済)で追悼文集を載せることになった。
師の追悼文を読み多くの方が涙され、先生は声をかけれらた。
書展後、先生はどこか寂しそうに一人つぶやいた。
「追悼文、僕は書かない方が良かったかな・・・」
「なんでですか?」
「まるでお涙頂戴じゃないか・・・そんなつもりじゃなかったんだよ。
ただ事実を書いておきたかっただけなんだ。
皆を喜ばせるつもりで書いたわけじゃないんだ。
皆の追悼文だけで良かった。でも仕方ないか出しちゃったんだし」
あんなに寂しそうな先生は見たことがなかった。
先生はとにかく語らない。
そこにやたら語るのが好きな私がいるというのも不思議なものだ。
師はどう思っているのか?先日もまた聞いてみた。
「マッちゃんは 證人 (あかしびと)なのかもしれないね。
とにかく相手のことをよく理解する能力に長けている珍しい人だよ。
僕のことをここまで把握できる人は彼女以外にいなかったからね。
彼女亡き後はマッちゃんしかいないよ。
親父なんて未だにまるでわかってないから。
僕のように沈黙の人には證人が必要なのかもしれないね。
運がいいからさ僕は」
「先生のお母さんに呼ばれたんですかね?」
「彼女と同じようなことを言うねぇ!!
生前の彼女もそう言っていたよ。
『お母さんに呼ばれた気がする』ってさ。
母はなんでもしてくれた人だから。
僕のために呼んでくれたのかもしれないね」
「でも本音は語って欲しくないんですよね」
「繰り返すようだけどそれ僕の範疇にないよ。
自分で決めることだ。
本音はわかっているでしょ」
「わかってます。語って欲しくはないですよねぇ~」
「知ってることを聞くのは野暮天のすることだよ」(笑)
「すいません、人間時とともに考えも変わりますから、確認です」(笑)
「僕は変わらないよ。嫌なものは嫌なんだ幼稚園の頃からね」
「ま、そうですよね~きっと先生は」
「ただ、嫌でもやらざるを得ない時はやるよ。
周囲が動いてくれたのに、
それで動かないほど傲慢な人間じゃないつもりだよ」
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