2013年4月8日月曜日

芝居鑑賞:人の声という楽器

4/6、誘われて土曜日に小劇場で芝居を見た。15年以上ぶり。
場所は千年船橋。
一瞬「え?!千葉なの?」と驚いたが、ググッみて世田谷にある小田急の駅と知る。(;・∀・)
「しんぷる」というタイトルのお芝居。
内容はライトノベルを芝居化したような印象をもつ。
私がやっていた頃とは全く異なる背景を感じた。
「これが今の時代の雰囲気か」
そんなことを感じられた。
それを感じられただけでも行ったかいがある。

当初は止めようかと思っていた。

小劇場の芝居は20代に多少なりとも観たのだが、とにかく席が狭い。ギュウギュウ。
過去の印象から来るもので観念である。
当時、何しに来ているのかわからなくなるほど疲れることも少なくなかった。
疲れすぎて観ることに集中できなくなることも。
一番酷い体験で、体育座りのまま2時間半1ミリも動けないこともあった。
あれは最早修行である。
隣の観覧者とみっちり触れ合った状態なので動けない。
全く内容が入らなかった。
椅子に座れることは当時は稀だった。
過去の記憶は行動を阻害する要因になる。
野尻はそれを観念と呼んでいる。
経験を下手弊害の一つ。
知り得てなお、別ものとして横へ置いておく必要があると言う。

若さ故、そうした状況すら醍醐味として楽しむ部分が当時にはあったがさすがに今は無理w
ましてや折しも台風クラスの雨雲が接近中。余程の用事でもない限り止めるつもりだったが、
誘ってくれた側の最近の思いの背景を受け、行くことにする。

芝居やクラシックコンサートというのは敷居が高い。

興味がない人を伴っても面白くなかったりする。
私は今となっては、美術展やクラシック・コンサート、映画や食事に至るまで一人で行く。
最初からそうすれば良かったとすら思う。
どのみち感想は個人の中で育むもの。
また、出向いていればいずれ感想を言い合う機会は得られるだろうから、あえて急がないことにする。
思い出せないことも少ないが、それはその程度の感動だったのだろうから、披露するまでもない。

小劇場での芝居は、ならでの醍醐味があるように思う。

役者が近いということ。
幸いにもここは新しい小劇場だったので、昔のようにギュウギュウにはならなかった。
端に座れたのも幸いした。椅子もある。
今はこんな感じなんだとしばし感慨に浸りつつ鑑賞。
役者が1メートル前で、演じ、声を発する。
そのエネルギーたるは凄いものだと感じる。
その照射を受け、帰りは無意識のうちハイテンションで家路につく。

人の声というのは楽器として考えた時にこれほどまでのエネルギーを発するものなんだ。

会話なら理解する必要があり意識を介在せざる終えないが、
芝居や映画は必ずしもその必要はないかもしれない。
感動があれば自ずと数度目にする。そうすれば内容はいずれ理解する。
まずはそのエネルギーを感じるだけでも鑑賞と言えそうだ。むしろ意識を介在する前に、感動を受けることが先決なのかもしれない。

整体師の親戚が以前言っていた。

「出来るだけ揉まないようにしているんだけど、
 揉まざるおえないんだよね。
 揉むこと自体は医学的効果はないよ。今の機械は性能がいいから。
 ただ、肌を接し活を注ぎ揉むことでしか得られないことも確実にある。
 でも、それをやるとこっちの活力が失われるから考えてやらないとさ、
 身体がもたないんだよね」

そう考えると、芝居で発散されるエネルギーによりこっちが元気になるのも頷ける。
特に人の声から発せられるエネルギーは凄いと感じた。
物質としての楽器にはない、生体としての楽器ならではの力が確実にある。
その力を、エネルギーを受けられた。
楽器は物質であるが故に奏者の思想背景が抽象的に感じられる点が言えるように思う。
声ははるかに直接的だ。
言葉の力、生体のもつ、音の力を感じる。
言霊とはあるのだ。

王女、良かったなー。

雰囲気が良かった。
あれは彼女が持つ人間性の現れなのだろうと思った。
それが芝居を通して感じられ、この2日ほど柔らかい気持ちになる。
芝居後のちょっとした懇親会があり声をかける。
本人は「子供役が多い」ことを気にしているように思えた。
「それはそれであなたの才能だよ。
 やりたくても出来ない人も一方では確実にいる。
 好むと好まざるとにおえず才能とはあるもだから。
 どうせあるなら活かした方が楽しくない?」と言おうとしたが、
時間切れとなった。

帰り、外は凄まじい雨。

しずしずと密に降っている感じ。
深夜には洪水警報が鳴り響いていた。
駅から徒歩20分の帰り道、全身が見事にずぶ濡れになる。
であるか。
傘をさしてなおこれほど見事なずぶ濡れは子供の時以来かもしれない。
パンツまでいった。
「これは凄い!久しぶりの感覚!!」
と自分で写メを撮り、シャワーにあたり暖める。
子供の頃に泣きながら自転車で全力疾走した日を思い出す。土砂降りだった。

日曜は室温が30度近くまで上がったが、一転今日は20度。
クシャミが出て喉が少し痛い。
濡れて風邪気味になったのはいつぐらいだろう。
この感覚も久しぶりで面白い。

こうしてブログを書く気になったのは、
彼女から得たある種の感動と、彼、彼女らの声の力がそうさせるのかも。
生命は意図せず共鳴しあっているのだろう。
先日のクラシックコンサートに続き、人の声の力が強く印象に残る。