2018年3月11日日曜日

雑記:7年前のこの日から

7年です。
光陰矢の如し。
不意に書きたくなりました。



自身はアノ件について当サイトでも実生活でも一切触れなくなりましたが、今でも情報は追い続けています。東都生協あたりは有り難いことに2週間に1回必ず報告があります。ただ、なんだろ、宿命は避けようがないのかもしれません。そんな心境です。

黙っている自分を当初は残酷な人間なのではなかろうか?と苦しい思いもしましたが、様々な経験を通し、寧ろ構えの無い人に事実を言う方が残酷かもしれないという思うに至り他言しなくなりました。事実を捉えるというのはとても厳しく難しいので。悲観的になる必要はありませんし。むしろどこか楽観的なものを持ち合わせていた方がいいように思いますね。だって、どうやらそんなに簡単じゃないですもん。でも野放図でも困るのですが、そのあたりも含めて宿命なのかなぁ。自分ではどうしようも出来ない部分が相当ありますね。

7年前

あの日ね。あの日、調子悪かったんですよ。すっごい。んで、やるべきことが進まず。イライラしてました。私は勤め人時代にゲーム会社にも所属していたものですからゲームを始めたんですね。忘れもしない「バイオハザード4」です。(´∀`) しばらくトラウマでこれやるとまた揺れないかと思い触れることが出来なかった。

ゲームってメンタルと体調のチェックが出来るんです。だから、そうした際によくゲームをするんですね。「反応が鈍いなぁ」とかね。「集中力が酷い」とか。そうしたらアレです。ゲームでゾンビ化した村人に襲われている時に。忘れもしない。当時はよくラジオを聞いていたものですから、仕事のBGMとして「TBSラジオのキラキラ」を流していたんです。

液晶モニターが倒れそうで、押さえに行きました。恐ろしかった。今思うと抑えてる場合じゃなかった。あの経験から今のモニターは倒れないヤツにしました。当時の動画で会社で唯一倒れない最強のモニターみたいな感じで見た動画から、同じ構造のを探したんです。それはいいとして、小島慶子さんには助けられましたね~。凄く冷静な声で「まず落ち着いて頭を守って下さい。大きな揺れは最長でも1分程度でおさまると言われております」みたいな。本当に勇気づけられました。あれが耳に入ってきて天井みました。同時に「まだ1分過ぎてないの?!怖いから長いのかな!?すぐ終わる、終わったら一旦外へ出て・・」と。あの声と言葉で冷静になれました。

*


怪奇現象

7年前の5月某日、調理中に鼻血が出ました。玉ねぎを刻んでいました。突然降ってきた赤い何かに真っ赤に染まった玉ねぎ。完全にホラーです。思わず天井を見上げます。当然上から落ちて来たのですから、上と言えば天井だと思ったんでしょうね。一瞬、まさか上で殺人事件!?と身構えましたが何もありません。そもそも物音もしてません。次に考えたのが「怪奇現象」です。仮にそうだと仮定しても天井に何もないのだから妙な話です。

一旦冷静になり天から降ってきた謎の液体に触れてみます。液状といってもやや粘性を感じたので「絵の具!?」とか奇妙な発想もわきましたが、再び天井を見上げ、間違いなく異常が無いことを改めて確認すると、「んなわけないか」と落ち着き。現象が再現するか検証する為に、玉ねぎを切り続けます。するとまたしても。

「ホラーだよ!ホラー!何なになに!」

また天井を見ますが何もありません。再び冷静になり戸棚に入れておいた「ケチャップが破裂したとか?」等も考え開けますが、そもそも入れてません。あたりを見渡すも何も無い。ケチャップはテーブルにありました。「他に上から降ってくる可能性って・・・」と再び下をむいたら、ぽたり。

「顔か!?頭から出血してる!」

ところが頭を触るも何も無く。顔を触るも何も・・・ありました。

ヌルっとした感触。鼻です。でも信じられませんでした。何せ痛くも痒くもない。そもそも鼻血であれば、流れているのに気づくはずです。元々鼻血など流したことがありません。鼻をほじり過ぎて血が出たぐらいで、流れたという次元までなったことがない。「まさか~」と思いながら鏡を見ると。血まみれの自分。ホラーでした。

とめどなく流れてきます。原因がわかってスッキリした自分。ティッシュを詰め込めど詰め込めどドンドン真っ赤になるティッシュ。「これ止まるのか?!」と思うほど流れてきます。でも不思議と痛くない。血小板減少性か何かと思い耳鼻咽喉科に行く準備をしていると突然停止。あれほど大量に出ていた鼻血がこつ然と枯れました。試しにティッシュを抜くと、全く流れてこない。「まさか玉ねぎが?」と思い、血塗られた玉ねぎを洗い、もうこれ以上は刻む必要も無いのに刻むも血は結局出てきませんでした。以後、二度と起きませんでした。

怪奇現象、再び

1年後。ユニットバスで突然滑って倒れそうになりました。油を踏んだような感触で危なく頭を打ちそうに。でもユニットバスに油なんかあるはずもない。足元を見るとユニットバスの床に血がべっとり。「えー!?またしても怪奇現象?!」と叫ぶ。ところが鏡を見ても鼻血は出てません。天井を見ても何も無く。でも紛れもなく床には血がべっとり。おかしいなとユニットバスに戻ろうとすると気づきました。

「左の親指から血が湧き出ている!!」

爪の間から血がコンコンと湯水のように湧き出ている。まさかずっとかと思い部屋を見るも血の後がありません。これも突然でした。ユニットバスのスリッパに履き替えた第一歩で血が吹きでたわけです。鼻血の時と同じように、抜き取れど止めどなくなのですが、ティッシュで何重にもグルグル巻にしセロテープでロックしを2度ほどやると突然何事もなかったように止まります。あれは実に奇妙でした。止まった後で写真もとりました。今思えば鼻血も親指の血も出ている最中で撮っておけば良かった。大袈裟、嘘つき呼ばわりされますからねぇ。親指の時は止まった後で思い出し、撮ったのですが。ただし結局は撮ってても嘘つき呼ばわりされるでしょう。信じる者は救われるの逆で、信じない者は何を見ても聞いても信じませんので。

*

振り返ってみると

いろいろありました。口の中から暫く続いた鉄の味。金属過敏症を疑いました。突然の舌苔。真っ白になりました。治らない口内炎。ひきすぎる風邪。一夏に4度の39度の高熱。余りにも盛大すぎる皮膚炎。目の異常。意識を失いそうな睡魔。止まらない胃痛と下血。謎の激しい頭痛。心臓の痛み。記憶障害。息苦しさ。それを言うと皆が「大袈裟」「怠け者」「やる気がない」「逃げてる」「気にしすぎ」「うつ」「ストレス」とサンドバック。仕事は全て滞りなくやってるのに。それなら聞いてくれるなと言いたい。永六輔さんが「共に泣き、共に笑い、共に苦しむ覚悟の無い人は体調のこと聞いてくれるな」でしたか、そうした言葉を残されていたように思いますが、正にその通りです。

短期記憶障害

今もそれら全ては治まったわけではありませんが、かなりマシになったというレベルです。かといって「治ったね~良かったね~」とは思ってません。そんな簡単なものじゃない。ほとんど全てのことが劇症的かつ唐突に進行しましたが「これはヤバイ」と一際危機感を得たのが短期記憶障害です。

この6年間「異常と言われるほどメモ魔」でしたが意図してやってました。というのもギャグのように忘れてしまうのです。綺麗さっぱり。それを利用され嘘をつかれたこともあります。嘘をついていると言われたことも。懐疑的な眼差してで迎え入れられたことも多々あります。出来るだけメールにし、記録が残るようにしました。

良くも悪くも仕事というのは「病気だろうが関係ない」のです。だから必死でした。私は励みにしました。とにかくメモをしまくり。単にメモるだけではメモをしたことを忘れるし、メモも意味がわからないこともあるので、自分のメモに注釈を後から付けたり、つけた注釈の意味がわからず、更に注釈の注釈をつけたり、「結局はコレだ!」と書き直したりして回避しました。

あの年の夏は最悪でして、書展の打ち合わせにいった時、熱が40度ありました。鏡を見ると目がうつろで「ヤバイ」と思い何回も頬に全力で張り手をするのですがクラクラするばかりで効果がありません。息が苦しく思考も散漫で、手書きで「この3点を明らかにする!」と箇条書きにして出かけました。なのでそれ以外は何を喋ったか、何を聞いたか全く記憶にありません。しかもメモが現場で読んで意味が理解出来ない部分が。喋りながらメモを見ながら思い出して聞いてメモをとる、とにかく打ち合わせはハイテンションで乗り切りました。

帰りに歩けなくなり某球場のソフトクリーム屋の前で動けなくなりました。電車でもひと目もかまわず地べたに座って帰った感じです。それから3日ほど高熱が続きましたが人生で初めての幻覚を見て、幻聴を聞きました。あれは稀有な体験で、リアルなんですよね~。話しかけましたからw 「え!どっから入ったの!?」とか。状況をみて幻覚だと気づきましたが。黒髪の長い二十代前半ぐらいの女性が白いブラウス来て、風に髪とスカートを靡かせながら気持ちよさそうに手を広げて部屋の中に入ってくるんですよ。窓しまってますから。ビックリしますよ。

この時期は自己点呼を病的なまでに行い乗り切った感じです。目で見て手で触って声に出してって感じですね。それを何度も、何度も、何度もやります。一方で「こりゃ異常だな」ってわかってました。でも、それぐらいやらないと無理だった。日常では「ガス消した。消したね、消えてるね、うん、消えてる」と声に出し、指でさし、触って、それを3度は繰り返します。仕事では絶対に忘れたらマズイ案件をカレンダーに書き、手帳に書き、スマホに書き、メモ帳に書き、ノートに書き、とどめにセルフチェックシートを作り。

アイデンティティの崩壊

それでも背筋が凍ったのは「自作がわからなかった」ことと「鍋の空焚き」です。「なんか煙いな」と思ったら鍋を空焚きしてました。水が全部蒸発して煙が上がっていたのです。鍋は駄目になりました。その時も鍋に火がついていた理由がわかりませんでした。恐らく食事をとうろと水をいれ、何かを思い出し「ほんのちょっと、一瞬だからと」席を外したら忘れてしまったようです。でも憶えていないのですよね。以来、料理中は終わるまで移動しないと自分ルールを徹底しました。食事をとったか忘れるなんて当たり前でしたので「食べない方が健康じゃないか」って思い、これは気にしませんでした。

自作がわからなくなった時はアイデンティティの崩壊を体感しました。何気ない雑談で、師に「これアンタが書いたものじゃないよ?」と言われ「いや、私が書いたんです。憶えてますから」と数回やり取りをしたのですが、次第に師が化物を見るような表情に代わり自らの異変に気づきました。驚いたことに、今でも私が書いた感覚があります。頭では「違う」というのはわかっているのですが。「違う」とわかったのは、自宅に戻り、夜中自分の書を引っ張り出し見たら全然違うんですよ。(;´∀`) しかも書いた記憶がハッキリしない。書いた体感が曖昧なんです。どことなく覚えている程度で。

当時はとにかく「異常じゃないの?」と言われながらもメモと録音、五感とで繰り返して仕事に穴を開けたことはありません。(自慢です!w)最もミスはそれでもありましたが。日常ではそこまでしませんで、火と鍵だけです。気をつけたのは。外は野放図にしていたので同じことを何度もやったりしてましたね。

箸が転がる

脳の異常は箸にも出ました。箸をよく落としたんです。ボールペンとかも。しかも落ちる箸に肉体が反応出来ない。眺めるんです。映画のような感覚でした。「あ~箸がぁ~おちてる~」みたいな。途中から意識して慌てて取るように努力もしたのですが、さらなる悲劇が続いたので、完全に落ちてから拾うようにしました。「落ちて当然!重力があるんだから!」ぐらいの開き直りです。何せ抗っていた時は、指をぶつけたり、食事を落としたり、食器を割ったり、頭を打ったり、腰を痛めたり、膝を痛めたりし、マズイと思ったからです。

とにかく箸を落としたのが思い出されます。次第に箸やペンを落とさなくなって来ましたね。ただ勉強にもなりました。日本の道具って気遣うことがいかに前提で作られているか思い知らされましたんです。転がりますから。滑りますし。そう言えばコーヒーメーカーとか割りましたよ。長く親しんだ湯呑や思い出の皿とか立て続けに割れた時は泣いてしまいました。でも、すかさず「形あるものは全て壊れる!これは摂理!」と自分で声にだして、自得してました。割れましたね~実に割れた。なので忘れ形見とか使わないようにしました。それと樹脂製のものを使うようにしましたね。箸も転がらないのあるのですが、そういう意味だったか!と学びました。でもセルフチェックも兼ね敢えて変えませんでした。

短期記憶障害の終焉

ピーク時の「全く記憶に無い」のは奇妙な体験でした。自分であって自分ではない。何か自分が取り憑かれたようなといえばいいでしょうか。頭の中が万華鏡なんですよ。バラバラで要領を得ない。記憶というのは「頭」で覚えて無くても「身体」で憶えていたりします。ところが両方共完全に無いのです。この記憶の異常はあの年の年の瀬より始まり次第に悪化し2015年~2017年春迄がピークだったように思います。言ってしまえばつい最近ですね。

済んだので書くと2017年の6月中旬まではかなりあったのですが、こつ然と、そう、これまたこつ然と半ばから急に正常化への道を歩み始めた感じです。「あ・・・もう大丈夫だ」と声が出ました。デフラグが終わった感じなんです。スッキリしている。急速に改善されていき昨年の末頃からどうにか概ね正常化したと言っていい状態に戻りました。面白いもので、あれほどメモをとっていた自分が知らずメモの内容を選択出来るようになっていきましたから。大してメモって無いんですよ。この間に脳みそのMRIも受けましたし、脳波の精密検査も受けました。

心の病にしたがる外野

不思議なのは色々な検査をやれども何も出てこない点です。父にすら「それは心の病気だよ」と泣かれたのは2016年の1月です。その疑いもしばらく自ら向けていたのでネットで出来るセルフチェックは幾つかやっていましたが、どれも好成績でした。家族や師や様々な人から聞いてもいないのに言われ、セルフチェックで異常がないのは把握していたので、無視していると、父すら言うので「百歩譲ってそれが理由なら話は早いな!」と行くことに。結果これが「理想的な健全さ!!そうそういない。何しに来られたんですか?」と言われる。「皆が鬱だストレスだって言うものですから、百歩譲ってそれもあり得るかなと」と。とかくわからないものを「うつ」や「ストレス」のせいにするのはかえって問題を遠ざけるなと改めて実感しました。肉体というのはよく出来ていて化学反応のように正確なのでまず原因があると学びました。

息切れ、心臓の痛み、歩けなくなる

あの年の秋からウォーキングが出来なくなりました。それまで3年半50分~1時間程度のウォーキングをしてました。次第に自転車すら乗れなくなり、終いには自転車を杖代わりにつくようになりました。こちらも去年の頭ぐらいから、まずまず自転車に乗れるようになり、先日からようやく30分ウォーキングが出来るまで回復し、ただ歩いているだけなのに一人感動に浸りました。以前はご年配の方が自転車に乗らずに歩く光景を不思議に思い見てましたが身をもって理解出来ました。普通に歩くより楽なんですよアレw

残ったのはこの息苦しさです。体調が一定以下に落ちると決まって息が苦しくなります。更に悪化すると心臓が痛くなってきます。これは個人的には体調のバロメーターにもなってます。「そろそろマズイな」という感じです。

あの年の5月。鼻血の後、数日後に息が出来なくなるほど心臓が痛くなり台所でうずくまったことがありました。その後、何事もなかったように治まったのですが、息切れや動悸は寧ろこの数年次第に強くなってきてました。その後、もう一度同じ体験があり電車に乗っていたのですが、胸をおさえたまま心臓が痛くて息が出来なくなったものです。一度目より二度目の方が強烈で、脂汗をかきました。それ以後はあれほどのはありませんね。

この心肺の問題は体調と完全に連動しており一定以上悪化すると息切れが次第に強くなり、更に強くなると心臓が痛くなる。そういうスパイラルです。特に呼吸が浅くなっている自分に昨年より気づきます。息が苦しいな~と思うと決まって息が凄く浅いのです。意図的に強く吐かないと吸えない感じです。もっとも吐くだけ吐いてもあまり吸えない感じですが。これをタイプしている今も少し苦しいです。ただしこの苦しさもピークは過ぎた状態です。ピーク時は自転車を杖代わりにしていた時です。歩くと酸欠にな感じでした。平なところで躓いたこともあります。今はありませんが。

藝文対談ともえ が救いに

記憶に異常があり息が苦しいとなると喋るのは苦痛以外の何ものでもないのですが「喋らざる終えない環境」になりました。そして幸か不幸かインターネットラジオ 藝文対談ともえ を始める流れになってしまいます。2015年時は記憶の異常がピークに差し掛かっており、挙げ句に息がいよいよ苦しくなりだした時期なので当時の私としては最悪の気分でした。会話というのは一時記憶を使い脳をフル回転させないといけないのでしょうが、言った瞬間から忘れるほどの忘却力でして、判断力にも異常があったため、一度言葉を詰まらせたら真っ白になる状態でした。

今にして思うと過酷でしたが幸いしました。何も喋らない状態ですと呼吸は浅く浅くなります。ところが喋ると反射的に息が深くならざるおえないようで、本来なら当たり前の行為である「吸う・吐く」というのが喋っている時だけ自然に行えると気づきました。また、記憶、や判断力をフル回転させ、酷使するので否が応でも自分の異常の程度を把握するのに役立ちました。

喋った後は急速に息が苦しくなり、激しい倦怠感や心臓の負荷を感じ、満身創痍で帰宅しておりましたが、今にして思うと結果的にそれは良かったようにも思います。何せ安きに流れますのです。当時は収録をしながら「ちゃんと辻褄が合っているかな?」とか「日本語になってる?」とか「悲壮感が出ていないか?」とか「聞いてて不愉快な感じを受けないか?」等、収録中は気を使いながらのぞみ、終わると全く憶えていないものですから、録音したものを聞きセルフチェックをしてました。

センセイは鋭い人なので、喋りながら「こいつ頭平気か?」って顔をする時は、まずヤバイ時で、理屈が通らない時はトッチャンが「え?」って反応をするので、それを受けて喋りながら軌道修正するような感じで対応してました。あの放送を通し、わかっているようで自分が何を言っているかわからないものだなぁと客観性を得ることが出来て、今の喋りに方にかなり影響を与えました。

宿命

なんとか出来たと思うから苦しいものです。どうにも出来なかった。出来たはずなんですけど・・・いや出来なかった。あの日以来得られたものもあります。生きることを意識しだしました。様々な友人知人や知人の知人や隣人等の訃報に触れ、「どうあれ今は生きているのだから、生きている間に出来ることをしよう」そんな感覚です。

筆を握れなくなった人の代わりに筆を握ろうと思い、書けなくなった時期を思い書き、読めなくなった時期を思い読みといった感じです。出来なくなった時期を踏まえるとやりたくなるものですね。何時でも出来ると思うと価値が下がるものだなぁと。したいことを可能な範囲内でやる。それを学んだ気がします。

食べ物

どうにかしようと色々やりました。らしくなくものにも一瞬手をつけたことも。その結果、自分には合ったなと思うサプリがあります。亜鉛、オメガ3系脂肪酸、金時ショウガ野菜酵素、スピルリナです。食事の基本はホワイトフードさんの玄米に黒豆、小豆をいれ、土鍋で炊いた言い換えるなら必須アミノ酸パーフェクトフードです。後は自前でつけた生姜の甘酢漬けや、北海道産納豆、味噌汁等。生姜はあくまで冷え改善の為ですが。侮れないもので効果があります。今でも吟味して自分で作ります。

他人様にもオススメ出来るなーと思ったサプリはオメガ3系脂肪酸とスピルリナ。私は体感が無かったものは全部止めたのですが、オメガ3系脂肪酸の効果を体感したのは半年を経てからです。丁度「効果がないし止めようかな~」と思った時でした。「効いたーっ
!!」ていう感じではなく「あれ?」という効果です。徐々に徐々にジワジワと効果がでる感じです。

一気に増やすと何が効果があったかわからなくなる為、半年~一年は続け、駄目なら他のにします。メーカーによって効果の差もあります。「これは」と思ったモノは幾つかメーカーを変えました。亜鉛などは4社目です。オメガ3系脂肪酸に関する様々な実体験話を聞きました。オカルト的な話もあるのですが、密かに判る人だけが使うサプリって感じがします。

スピルリナ

これは覿面でした。あの年の10月2日から胃痛と下血が始まったのですが、胃痛が余りにも続くので二週間後に医者にも通ったのですが処方される薬で便秘が悪化し下血が救いがたいほどに。医師には大腸がんを当初疑われましたがひと目見て違うとわかるほど明らかな鮮血でして、あれもホラーでした。失礼ながら「キャリー」を思い出しました。「このままでは人工肛門かも」と覚悟するほど。

人から聞いた民間療法等も試しました。胃痛に効果が出だしたのは重曹でした。ただし毎日使用しないと胃痛が酷くなることから1ヶ月を過ぎた段階で止めました。(注意書きにもあります)3日ほどプチ絶食もしてみましたが、どうやら胃の内容物がある無いに変わらず痛みに変化はなし。

藁にもすがる思いで調べ、食品に近いものでどうにかと探していた折、ふとスピルリナを思い出しました。これには本当に救われました。嘗て師匠の奥さんが闘病時に話題にでたものです。調べてみると道理にも適っており、食物繊維が豊富なので胃の消化や腸での吸収を助ける為か、次第に胃痛が軽減されていき、下血が止まり、便通も劇的に改善され、最終的には胃の痛みが治まりました。下血が治まるのに半年。胃痛がおきてから1年半が経過してました。(便秘で困っている方にもオススメ、ただ色がとんでもないことになりますが)

次第に様々な症状が治まっていったのもスピルリナのお陰だったかなと思ってます。とにかく排出、解毒しないことには始まりませんですので。最も、以後私の胃腸はスピルリナがないとやっぱり痛みだします。以前より依存度は下がった感じですが元から便秘気味だったので、最早手放せない感じです。単なる便秘なら生薬のアロエもいいのでしょうが、私はアレだと胃が捩れそうになる。便秘でスピルリナが合わなかったら生薬のアロエでもいいと思います。もう一歩、二歩どうにかならないかと最近はプラセンタ、ローヤルゼリーを試してます。再生系ですね。

他にもありましたね~顎関節症になるし関節は痛くなるし、右肘と左膝は逆側に曲がりそになるし、左足が蜂窩織炎になるし。食べ物はアーモンドからひまわりの種からカシューナッツからクルミからかぼちゃの種からウコンからフコイダンから。自家製でバナナペクチンやらリンゴペクチンやら活性液やら。どれもこれも効果は謎ですが種系をとりまくっていった結果、激太りw 最終的にはパーフェクトアミノ酸食とサプリに落ち着いた感じです。

最後に

これらが如何ほどの効果があるのかと問われればそれは正直疑問です。ただし何もしないで座して苦痛の中で生きるより、何か少しでも効果がありそうなものを命の限り試した方が健全ではないかと考えている程度のものです。恐らく結果が出る頃には「あー・・・そうだったか」と思うこともあるのでしょうが、やるだけやったのなら悔いも少なそうです。

結局は終わってみるまでわからないものだと思います。あ~これが自分の命だったのかと自得する以外ないかもしれません。これまで他人様の力添をする仕事が長く続いてきたのですが、昨年、恩師の七回忌、師の奥さんの十七回忌、同門の書家がお二人亡くなられ、叔母が去り、ふと、これからは自分にもっと時間を割こうと感じました。

目下の興味は本を作ること。駄文家ですが。小さい頃に夢だった小説を書いております。もっぱらそちら趣味ですが。仕事では書です。書はいいですよ。上も下もない。技術の上下はありますが、それを気にするのはプロだけでいい。日本人なら大概書けますししね。書は人を作ると昔から言われております。ヘルスチェックにもなりますよ。書には肉体の実情や精神の内情が即物的に反映されますので。もっともアレは別なようですが。

そして去りゆく際に残すことも出来ます。書の凄さは、パッと見た瞬間に「あ~○○さんだ・・・」と感じ入れる点です。これが文章だと読まないといけません。読んで、感じないといけません。本当は楽器や作曲が出来るといいのですが・・・これもまた敷居が高い。書を見ると今もなおその方が生きているようでらあります。ありし日の方達の書を見ては「生きてる?」とか思ってしまう自分がいます。

パソコンが起動しなくててんやわんやしたことを後で同じ現象が起きた際に参考にする為に書いていたら、今日が何の日が気づいていしまいました。不意に書きたくなり簡潔に書くつもりが長ながと一日がかりで。生きてい人が、出来る範囲のことをしよう。それしか無いように思ってます。