自分の病は自分が基本
両親には「医者の言うことを右から左にに聞いていると殺されるから、自分の命は自分で守るんだよ」とよく言いますが、それは自分の状況を認識、分析し、病の特性を知るということです。やはり自分のことは自分が一番よく理解する先生なのです。
10月、両親が床に伏せり母から電話が来ました。二人とも町医者には行き、父は異常なし、母は単なる風邪と言われました。私は書展後で、後処理にも追われ疲れ切っていました。手伝いに行きたくとも共倒れになると考え、連日電話で様子を伺いながらギリギリまで待ちます。他人を支えるというのは並大抵のことではありません。
11月に入り本人の自助努力や兄の手伝い、医師の処方もあり大分寛解して参りました。ただ振り返り言えることは単に「運が良かった!!」という事実。ちょっとした運の悪戯で父は亡くなっていたでしょう。
当初アピールして来た母ではなく危なかったのは案の定ですが父でした。誰も注意してませんでしたが、私からしたら明らかにおかしかったのです。下手しなくても死んでいても不思議ではない状況でした。年齢が年齢なので何も出来ず、現状を知るための精密検査が出来たに過ぎません。大動脈解離でした。嘗ての糖尿が起因と思われます。それでも父が糖尿を寛解してから随分と経ちます。
思えば野尻先生もそうでした。大動脈解離と急性心筋梗塞について少し調べたのですが何れも糖尿が深い悪影響を与えることを知りため息が漏れました。糖尿がいかに恐ろしい病気かヒタに感じた気がして、私は全く糖尿ではありませんが、甘いコーヒーが好きで毎日4杯ぐらいは普通に砂糖入りインスタント珈琲は飲んでいたので、1杯に改めることにしました。
始まりは母から
10月上旬、母から連絡があり医師の診断を聞くと明らかに適当に思えました。そこで母には「医師にこう言って」と伝え、該当の手当をしてもらい、「あ~これは季節性のものだな」と直ぐにわかりました。母と私は完全に体質が同じでリンクしているので、手に取るようにわかります。
母はそんな私の言うことにも懐疑的。不安という妄想に足が囚われている印象で、寧ろ母の問題は気の病だなと改めて感じます。その後、それでも母は親戚の医師に助言を聞き「やはり私も精密検査を受けた方がいいらしいよ」と言ってきました。
私は先月末に「断言するけどその必要はない」と告げ、11月の中旬迄には恐らく治るから、下手すると下旬まで行くけど、最悪でも今月一杯では治るからと説得し、やはり今ココへ来て治ったようです。ただ、厄介なのは気の病です。言ってしまえばストレスです。
COVID-19と同じでゼロ・リスク、完璧な肉体、完全なる健康を引き合いに出し、やれ何が調子悪いと不都合な事実ばかり羅列し自ら不安と不満を増殖するのに余念がありません。私なんぞ健康だった肉体は23歳を最後に忘れました!!w 以後、必ず何かが悪い状況で行きてきたので「不充分」が当たり前になっており「どの程度欠けているか」の認識しかありません。以前はあった「今日は健康だなー!」という日も年に1日もなくなりました。
ストレスの原因はハッキリしており、父との価値観の不整合。お互いがお互いの気遣いを理解出来ない鈍感さ。外出出来ないというストレス。何よりライフワークの無さに尽きます。皆さん、ライフワーク持ちましょう!!
ライフワークがアレば、クソムカつくなーと思っても、ライフワークに勤しんでいれば忘れてしまいますし、仲直りする機会も訪れますが、それが無いと発散する部分が食欲しかなくなってしまう。それはとても危険です。
悲しいことに食事はストレス発散どころか肉体への負担へと年齢や体調に応じて変化していきます。「食べる」ということ「内臓」をフル稼働させるので、当然相当疲れるようになります。なので精神的充足感を得られるようなライフワークが必要なのです。
厄介なのはそれを本人が自覚していないこと。これでは解決出来る問題も解決を見ません。
COVID-19
COVID-19に伴う不安材料を浴びるように見せられた上に、親族の度重なる入院や不安材料、自身の体調不良、家庭内不和が次々と重なった結果でした。私等はテレビは無く、ニュースは自分で拾うのでそうした不安は全くありませんでした。これは311で学びました。
浴びるように不安材料を与えられれば不安になるのは当然です。ホラーを見続ければ見えないものが見えたような気になる現象と同じです。それもあって私は母に野尻先生が亡くなったことをずっと黙ってました。とても言える精神状況ではないと考えたからです。
寧ろ父
当初より私が心配したのは父でした。本人も含め誰も心配していなかったのです。10月上旬、母から聞こえた父の様子は、私からしたら明らかにオカシイ。以前は何を言っても聞きませんでした。そればかりか「お前はそういう不安にさせるようなことを言うな!」と怒鳴って聞かなかったものです。
私は不思議でならないのですが、過去、肺炎の時、腸捻転の時、私が言った通りでした。しかし、それらの過去実績が幸いしたのか今回は驚くほど素直に聞いてくれ、結果的に幸いしました。
最も、本質的には運が良かっただけでした。こちらがわとしても切羽詰って言っているので聞いて欲しいのですが、ある意味では外から見てわかるほど切羽詰っていれば既に相当、運次第なのです。野尻先生が言ってました。知るタイミングによっては不幸もあると。
外の声
私は何度も野尻先生から心底驚かれたことが幾つかあるのですが、その一つが他人の肉体や精神の異常をいち早く察知する件です。先生が余りにも「なんで!?」と驚くので、「いや、目と耳があれば・・・普通わかりますよね?」と言って、先生が「まー・・・そうだよね」といったやり取りが思い出されます。
君江さんが無くなる一年半前にも二人に警告しました。「精密検査を受けるべきだ!」と。父が以前、死にかかった際も一ヶ月前に会った際に異常を感じ、帰り際に「病院行って見てもらったら?」と言い、「不吉なことを言うなよ」と無視されましたが、案の定でした。その際も誰も気づいていないのです。
これは「俺、凄い!!」って言う話ではなく(笑)、外の声を参考に、もう少し自分と向かい合って上げてよ、という話です。向かい合っていれば言わずもがな気づいた筈だからです。ただし相当な自己訓練がいるので、早いに越したこと有りません。私も最初は全然自分の調子がわかりませんでした。やはり周囲の声がかなりヒントになります。
私の場合「調子良さそうだね!」と言われるとまずヤバい。というのも無意識に出力を上げ「無理をしている」から調子が良く見えるのです。自然ではあればそうなる筈も無い。やはり「アピール」があるウチは不自然なのです。
書に出る
野尻先生が糖尿と判明する二年前にも進言しました。「明らかにオカシイから医者へ行くべきだ!」と。先生は「マッチャンは僕が君江さん(奥さん)が亡くったからといって何時までも落ち込んでいるような根性無しだと思っているのか!!」と怒鳴りました。
挙げ句に書を見せられ「これが根性無しの書か!」と言われたのですが、明らかに違和感を感じたのです。その感想を述べると更に「その目は節穴かっ!!」と血管がキレそうなぐらい怒鳴られたものです。(笑)
でも、今思い返してもあれは先生らしからぬ書でした。構造結体は先生ですから当然完璧なのですが、魂が抜け落ちたような、機械が書いたような隷書だったのです。書を見て異常事態だと感じ鳥肌が立ちましたが、結局先生は私を信じませんでした。後に重度の糖尿であることが判明します。
あーでもこう書くと自慢してるように感じられますね。すみません、どうやら自慢しているようです。ただ私の意図としては、皆に心身ともに健康でいて欲しいのです。なぜなら私に助けを呼んでも私は自分を支えるだけで手一杯だからです。(笑) 些細な手助けしか出来ない自分が歯痒くて私のストレスになるのです!w
父の異常
医師の所見は当初一切ありませんでした。高齢者は往々にしてなんでもかんでも訴えるので医者も耳にタコなのでしょう。つまり、ちゃんと相手を見てないのです。確かに一定数は何でもかんでも大騒ぎしておりますが、全員では無いはずです。なので患者も自分の状況をつぶさに把握し理論的異常をアピール出来るよう準備が必要です。
私も長くドクターショッピングをしたので、ある程度自分で可能性を絞ってから行くようになりました。そうすると応じてくれるのです。逆にいうと、そうしないと全く関係の無い「抗生物質」を渡され門前払いに相当する扱いを受けます。一番驚いたのは「血便が出て激しい腹痛」があると言ったのに抗生物質を渡された時です。なので誰しも自分の病と向き合うべきでしょう。医者を前にマグロ状態でも正しい診断がつくだけの優れた医者はもう居ないと思う方がいいでしょう。
私は母から聞いた父の二言程度の症状が明らかに異常に思え、過去の病歴からも一度入院した大きな病院に検査してもらったほうがいいと進言しました。「どうせ聞かないだろうな」と思いながら。翌日に父は動き兄が付き添ってくれたお陰で大動脈解離と判明しました。
その病は全くの想定外でしたが、言ってしまえば「不幸中の幸い」でした。普通に亡くなっていたも不思議じゃなかったのです。検査の結果、様々な幸運が揃い父は急性期を無意識に乗り越え、亜急性期に入っており、経過が良ければ慢性期に入るとの所見でした。出来ることは血圧の管理ぐらいしか無いことから自宅療養へ。
運不運
君江さんの時もそうでしたが、今回改めてわかっていても回避不能な事象がほとんどなのだと痛感しました。君江さんのガンも10年前には出来ていただろうと言われ、野尻先生の糖尿も生活習慣で症状が出る前から異常はあったでしょうし、父の腸捻転も昨日今日の話ではなく、今回の大動脈解離にしてもそう。つまり気づいて助言に従ったところで結果は「運不運」に委ねられている。
ただそれでも、些細な兆しは早々から伺えるものなに思います。「食事に偏りがあるよね」「生活習慣」が乱れているよね等です。そうした兆しに生きて損は無いかもしれません。それでも最終的には運なのでしょうが。
経過
父は慢性期を無事に過ごし平熱へ、母も私の想定どおりの経過を辿り治りました。当初は母がヤバイという話で家族で話題がもちきりでしたが、その際にも「SARS2(COVID-19)では?!」でした。今の時期は熱があればすぐ「SARS2!!」で、本当に困ったものです。既にCOVID-19に関しては優位的症状が明らかになっているので、もう少し冷静に照らし合わせるべきに思います。
このウィルスには既に特徴的な症状が幾つかあり行動履歴と照らし合わせれば「あ、違うな」とわかるものです。軽率な発言で恐怖ばらまく前に知る努力が必要に思います。根拠なき不安や根拠なき安全感(正常化バイアス)に支配され過ぎな気がします。
手塚治虫の司会で自身がアトムを描いた意図に、人はもっと科学を知った方がいいと言ったそうです。アトムは感や情で動きすぎている日本人に向けたアピールだったようです。自作が人気が出たことで少しは科学に関心を持ってもらえたかな?と思っていたところ、そうでも無いことを知り司会者にも関わらず面前で情けないやら悲しいやらで号泣したと聞きます。その気持がすごくわかります。
最後に
野尻先生の言葉に、見る目が無い人へのアドバイスとしてこうしたものがありました。人は実力に対して概ね0.5から1歩前後の見る目が概ねある。でも、全く無い人、育たない人も確実にいる。そうした人がスべきことは見る目のある人を捕まえておくことである。そして、その人の言うことを素直に聞き、その方向性に従って歩めばいいとおっしゃいました。
美は想像する能力と見出す目の双方があって成立する。一方だけでは成り立たない。それと同じで健康もまた、肉体の才能とその状況を見極める能力、自分より能力のある人間の言うことは素直に聞き反映させるだけの素直さ。それらが大切なようです。同時に、完全に委ねるのではなく、素直に従いながら自己もまら見る目を養う努力を怠らない。そうした姿勢が肝心に思います。
だから医者の言うことも無視すればいいというわけでない。受け入れることを前提に自分の肉体にあった微調整をし、相談し、コントロールする。そうしうたことが必要に思います。何せ無いものはカバー出来ませんので。何にしても取り敢えず安堵しました。先生が亡くなって以後、色々ありすぎ!!
自分の肉体を一番わかっているのは自分なので、まずは自分が病の調べ自身の肉体で実験し、多い少ないを判断し制御する必要があります。
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