2011年2月5日土曜日

会話と議論

 最近親とモメることが多い。私としては、これはこれで双方にとってプラスになると考えている。(いき過ぎないことが肝心)モメるといっても信頼関係があっての上でだ。信頼関係がなければ喧嘩することは出来ない。なければ戦いに発展してしまうからだ。昔から言う「喧嘩するほどに仲がいい」というのはまさに正しかったんだと今は感じる。喧嘩というのは元の鞘に戻ることが前提である。なので結果的にモメる会話も一つのコミュニケーションだと思う。喧嘩の後で大切なのは遺恨を残したことはない。双方が理想であるが、自分だけでも成立する。自分が遺恨を残さなければいずれ関係は修復される。

私はは激しいバトルの後ほど忘れることにしている。もちろん話している最中は頭にくる。特に父はいつも後半にはお決まりの人格否定の一辺倒で最後には電話を一方的にきってくる。頭にくる。なので最中はそれなりに応戦する。一方がためる必要はないと思うに至った。一定の信頼関係の上でなされる会話において、相手を罵る言葉は「真意」ではないからだ。あくまで瞬間的な感情の高ぶり、爆発を意味しているだけ。言い換えれば「表現」だ。分かりやすい例は、子供が言いがちな「このぉ・・・うんこたれ!!」等の意味不明な言葉である。大人なので言い方が違うだけで本質は同じであろう。憤りを表現しているだけだ。相手を本質的に否定しているわけではない。真意を汲み取ることが大切だと思う。

父はなかなか怒りが収まらないようだ。被害は母にもおよんだので、母には平謝り。父に対して私はすでに涼しいものだ。一方が受け入れなくても、もう一方が受け入れればいずれ誤解は解ける。時間は大なり小なりかかるが解ける。モメる最大の理由は、古今東西太古から変わっていないような気がする。「私の主張を認めろ」つまり「私の言う通りにしろ」ということだ。相手の自由意思を拘束する。現代の多くの問題の根源的な部分だと思う。大人が大人に対して支配を発揮するわけだが、この逆が自由ではなかろうか。私が余りにも思うような方向性で生きていないのでいい加減頭にきたのだろう。期待に答えられていないとう点では誠に申し訳なく思っている。私も望んだわけではないが、道がそうなっていたので受け入れざる負えなかった。自己否定は何も生まない。父の発言はかなりの部分で正論であり一面の一般論を提示している。しかし、それでも私には私の人生の流れがあれ、仁義があり、筋道がある。それを無理やり歪めれば破綻は避けられないだろう。

こうした場合、私は父に議論をしかけるのだが、父に限らず、つくづく日本人は議論が出来ない人が多いと思う。テーマと事実の把握でつまづくので当然ながら議論にならない。めげずに事実の確認を要請すると、便利な日本語「理屈っぽい」の一言で逃走される。結局は感情を爆発だけして終わってしまう。私の言う議論とは、テーマと事実の確認、把握からスタートし、互いの知識、知恵、経験、センス、そこから見出した結論を披露しあうものと考えている。十人十色なので当然細かく議論すればどんな相手とでも完全一致はない。議論は互いを否定しあうことではなく、「違う」ということをどれだけ確認しあうかにかかっている。「違い」をより多く把握すればするほど世界は広がり、内実も伴ってくると思うのだが。だから信頼関係がなくても議論はできる筈だ。現実にはテーマを維持することはおろか、事実の確認と共有すら出来ないことが多く残念だ。

これは日本人は感受性が強いからだと考えている。感情表現が豊かなのだと思う。だから悪い習性だとは思っていない。むしろ良い。感受性が強いことに損はない。ただ、訓練が足りていないだけだと思う。議論をするには、相手の自由を尊重することが根底に必要と考える。難しいのは自由はともすれば無視につながりかねない。無視と自由は本質的に違うと思う。自分が大切な存在であるがゆえに相手も大切な存在であるということが根底にある。「あれこれ言いたい」が、ぐっとこらえる。無視とは違う。相手がどうでもいいというわけではないから「言いたい」のだ。近いほどに見える範囲が増えるため言いたいことも増える。その上で相手を自由にする。それは「尊重」であり「愛」であろうと思う。それがなければ、「違う」というこは彼は私より劣っていると考えてしまうかもしれない。それでは議論をする意味がない。

先日、芸人の間寛平さんが2年以上に及ぶアースマラソンから帰ってきた。彼の奥さんは、彼が自由にしていることが喜びであり、それをさせているから日々愛を感じます。と答えていた。師匠の野尻泰煌もそうだ。以前私が「黙って辞めてしまう生徒に何故声をかけてあげないのか?」との問に、「誰かが誰かにしてあげられることがあるとすれば、それは相手の自由意思を尊重してあげることしかないんじゃないかな」とだけ応えた。師匠にしても、本来色々言いたいこともあるだろう。それでも敢えて黙って見送る。言われないが故に歪みはない。自らの意思で自らを選ぶ。そうすることで歪んだあゆみはしなくなる。道も歪まない。ただ、その道が結果的に本人が望む道じゃなかったとしてもだ。道が歪んでいなければ、それが最上のものとなる。そう言いたのだろう。言葉を足すとこういうことだ。

自分の最上を相手に提供しているつもりでも、それを相手は理解できない。多くは目先の餌に飛びつくだろう。そしてそれが一時にはいい結果に見えるかもしれない。しかし、人生というスパンでものを見たときに、それは自分を歪める道の選択に思える。少なくても私はそう思える。だからそう思えることは勧めない。例え対立することになっても。大きな力を無視することになろうとも。無責任なことは言いたくない。

それから二度と師に問うことを止めた。私は別な考えがあるが、師が私にしてくれているように、私も師にそうすることにした。とやかく言わない。自由にしてくれたように、自由にする。違いを認め合った。父が私に言いたいことは嫌というほどよくわかる。その上で私は違う道を選ばざるおえない。私とて頭では好きでこのこの道を歩んでいるわけではない。人は思うほどに生きられないものだ。人生とは望む道を歩むより敷かれている道を歩むほうが自然な気がする。書でもそうだ。好む書とできる書は異なることが少なくない。私であれば、好む書は「隷書、楷書」であるが、私の能力はそこへ行くのには向いていない。目で好む能力と実際に備わっている能力には往々してズレがある。好む能力はそのままに横へ置いておき、備わった能力をやった方が間違いなく伸びるだろう。今までずっとソコに気づかなかったが、師はきづかせてくれた。それは「違い」を認めることから始まったからだろうと思う。

信頼があれば一定のなじり合いもまた生きる元気の元になると感じた。
色々申し訳ないと母には伝えた。
それが私のできる今の精一杯であった。