2011年4月25日月曜日

浄化と不信感

震災で浄化した日本の「国家イメージ」を手放しで喜んで良いのか?
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/04/post-289.php
た。そうした写真には悲劇の中にあって、品位を失わない日本人への畏敬というニュアンスが濃厚であり、ここでも「悪しき軍国日本の伝統を受け継ぐ」というような偏見は皆無でした。
では、アメリカ人から見て、日本人のイメージが格段に良くなったのかというと、必ずしもそうではないのが残念なところです。「軍国日本」のイメージは消えているのですが、「顔の見えない日本人」「何を考えているのか分からない日本人」というステレオタイプはなくなっていません。
この記事は実に興味深いです。
私にとって国旗に敬礼することはいかほどの意味もありません。そもそもしたことはありません。
仮に諸事情によりしたとしても、それは「尊大な態度はとりませんよ」「それが礼儀というのならやりましょう」というようなものであります。儀礼であり、せいぜいご先祖様へ手を合わせる行為に近い。この記者も書いているニュアンスの通りです。ましてや菅総理や枝野長官のようなサラリーマン議員も大差はないと思います。しかし、アメリカ人はそう取らないようです。
でも、その理由は大きく頷けます。恐らく私も逆の立場なら疑念を拭いきれないでしょう。そういう態度をとっている。2週間以上?海外メディアを締めだした態度といい、回答は全て曖昧で観念論。挙句に数値を出したのが1ヶ月後など、不信感を抱くなというほうが無理でしょう。そして以下の部分。
顔の見えないということでは、原発事故収拾のために現場で苦労している作業員の方々も、実名報道もダメなら肉声のコメントを海外に紹介することも禁じられているわけです。これも、日本側では個人情報を守るというタテマエの裏には「原発の賛否に関して国論分裂の火種になるような生々しいコメントは迷惑」ということと、「下請けの作業員が発注元の経営者より上位の名誉を与えられることを許容できるカルチャーが経済界にはない」というようなことがあって絶対に不可能ということなのだと思います。一方で、海外からは作業員が匿名のヴェールに覆われていることが「封建的な支配」があるように見え、それが「安全性への懸念」を増大することになるわけです。
今まで現場の声が全く伝わらないことに疑問に思っていましたが、報道規制が敷かれているようですね。アメリカ人の報道の基礎であり、弊害はとりあえず英雄を設け崇拝し消費するに思います。それが出来ないわけです。我々は特に彼らを英雄視しようとは思いませんが、命がけで現場で戦っているのは間違いないわけなので、彼らの労を共に感じ、労りたいという思いは少なからずあります。それが見えてこないわけなので同じように不安に支配されてしまいます。

日本は便利で重宝しすぎたトップによる隠蔽体質を捨てることで本当の意味で戦後を終えられるような気がします。