2011年6月25日土曜日

武田邦彦:原発事故中間まとめ(8) 救命ボートは準備されていたか?

原発事故中間まとめ(8) 救命ボートは準備されていたか?
http://takedanet.com/2011/06/post_eff1.html
(引用)
つまり、船に乗るときに、船が沈没する可能性があること、その時に何をしなければならないかということについて、単に船長ばかりではなく、乗船している全ての人の「コンセンサス」がなければ、瞬時に判断して行動することが難しいからである. 
(中略) 
「そんなことは想定していない」
という答えが返ってくる。つまり原発は「救命ボートを積んでいない客船」なのである。
そして、「救命ボートはどのようなものが備えられているのか?」という質問を電力にすると、うさんくさい目で見られたり、排斥されたりするという異常な社会なのだ。 
(中略) 
人工放射線による被曝で、1億人に年間5000人がガンにかかる。この損害に対するメリットは「原発からの電気を買うことができる」ということで相殺されている。
日本人は原発がなければ1年1ミリも被曝しないのだが、原発があることだけで1年1ミリの被曝をする。これについては不問に付すということであって、1年1ミリがまったく安全だということではない。
私は電力会社と話していると、もしかすると電力会社は自分たちが製造し、それを販売している電気に対して、1年に5000人の人がガンになるという代償を払っていることを知らないのではないかと思うことがある。
つまり、現在の日本の電力会社は「救命ボートを用意しない船会社」なのである。原発は動いているのだから、電力会社は一刻も早く、「何が起こるのか?」と「救命ボートはどこにあり、どのように乗るのか」を示す誠意を持って欲しい。


(私見)

「原発は救命ボートを詰んでいない客船」

この表現は実に判りやすく、そして痛烈な事実に思います。
なるほど、こう言われてみると、
原発をもって1年1mS/vのリスクを追うのは、
ひょっとしたら落ちるかもしれない飛行機、沈むかもしれない船に乗ることと同じ意味を持っているわけです。
リスク度合いの差はあれど。
しかし、飛行機に乗るときには万が一の方法を必ず聞かされますし、どうしたらいいかのコンセンサスがある程度とれています。
今の原発は、一度エンジンに火がついたら、落ちるのをただ待ち、それぞれの運だけに委ねる飛行機と同じ状態であるということなんですね。実際そうなってますし。

なんと、とんでもないことが見過ごされてきたわけですね!?