2011年6月21日火曜日

委ねきっている師匠

ハタと気づけば作品の締切りまで丁度1ヶ月。
時が経つのは速い。

慌てて師匠の元へ。

4月末に完全に作品が行き詰ってしまい放置しておりました。(苦笑)
つらつらと見て頂き、即お別れ。
師匠の父君と話すのが好きなので、高齢の生まれる前の話などをして頂き楽しむ。
父君は凄まじい記憶力の持ち主。
素晴らしい商人であり、その上で確たる商才がおありだなぁと毎度唸り憧れる。
延々と喋っていると、夕食を速攻で済ませた師が、
「マツちゃん、お茶でものもう」と、キャチュード。

振り返ってみると父君と同じことを仰っていたことに気づく。
才能がなくて「商人」、「書家」やっている人は気の毒である。
ということ。それにしても昔の商人は良心、良識があった人が多かったと痛感させられる。
その人の将来を真摯に受け止め、促し、止め、種を植えてくれる。ありがたい人だ。

気づけば先生とは全く会わなくても延々と沈黙しても平気な間柄になっている。
少なくとも私は平気でたびたび黙りこむことが多くなった。
あまり馬鹿みたいなことを、馬鹿みたいだと知りながら喋るのを止めることにしたというのもある。

師の委ねきるという姿勢に感動した。
即ち命すら委ねていると私は解釈した。
そういえば、3ヶ月前電話で「我々は委ねるしかないよ。でも覚悟はしておく」と仰っていた。
覚悟をした上で、普段は完全に忘れておく。

ツルンとしている。
以前とは大違い。
時折見せる先生らしい表情にニヤっとしつつも、
ここまで委ねきっているのかと驚く。

かくも見事に両極へいける方なのだ。
それはつまり、なんたる柔軟性!!?

亡き奥様の笑顔が見えたような錯覚をおぼえた。


「人間の考えることなんて狭い。
何を駆使しようがどう考えようが全てはシンクロニシティに同時発生している。
その結果を予測するのは不可能であり天のみぞ知る。
小さな事で、良い、悪いを測定したところで意味がない。
どうなるか考えることも無意味。」といった話でした。

私も以前から自分なりに委ねようと努力はしている。
しかしなんとも本性と大脳の抵抗は激しい。簡単にのまれてしまう。

「訓練だよ」
師は一言。
「僕はずっとそういう訓練をしてきたから。昨日今日のことじゃないし。」
訓練を続けるしか道はなさそうだ。

そして結局は託された身の丈でしか生きられないように思った。