師の仕事部屋にある彼女の写真はすすけている。
先生らしい。
「なまじそういうのがあると観念的になるからマッちゃんは置かなくていいよ」
当時そのように言われた。
でも片付けることは出来なかった。
今でも所定の位置に鎮座している。
ただ、飾っているだけだ。
特に何もしていない。
先生の所に行く時に「先生のところに行ってきます」と語りかけるぐらいだろうか。
私のところにある写真よりも薄ら汚れている。
今でも最後にお会いした時のことが頭をよぎる。
彼女は私に何を託したのだろう。時々そうした思いが湧いてくる。
彼女は物静かだった。
本質的な質問やお願い等は敢えて口に出さなかった。
いつも目をあわせて、ニッコリ笑って終わり。
師から、死後こんな話を聞いた。
すっかり忘れていたが、最近になり師が再び話してくれる。
展示ギャラリーの大規模な個展は初となる開催に向け作品制作に打ち込んでいる時だそうだ。
「これからはマッちゃんに手伝ってもらうように」
彼女がそう言っていたと。
私は彼女から言われたことは一度もなかった。
その頃の私は仕事人間だった。
寝ても覚めても仕事。
第二の師匠である野尻先生のところにお伺いしてまだ数年の三下に過ぎない存在だった。
書のことは頭の片隅にしかなかったように思う。
そもそも私は書に興味がなかった。
第一の師である亀井先生が心を尽くして紹介して下さった師だからこそ通い始めた。
恥をかかせるようなことはしたくなかった。
彼女が私にお願いしたことは2回だけだったように思う。
1度目は亡くなる一年前。
師の書道会である泰永会の事務局をお願いされた時。
野尻先生からは2,3年ほど誘われていたが、ことあるごとに「そうですねぇ」とはぐらかしていた。出来れば避けたいことだった。いい加減諦めてくらただろうと思っていた矢先に、彼女に言われた。
「受けるざる終えない」と腹をくくった。
2度目は、告知された翌日に会いに行った時。
「先生と泰永会をよろしくね」
やはり「はい」としか答えられなかった。
一目見て信頼できる人はそうはいない。
師も信頼していたが、師とは別次元で彼女を一目見て信頼できた。
「彼女の言うことは受けざるおえない」
そういう気がした。
師は自分から奥さんのことを委細語らない。
聞かれても語りたくもないだろう。
「生臭いものは嫌いなんだよ」と一刀両断する。
その言葉の意味を知るものは少ない。
今の師は、彼女のために生きていると思える。
奥さんと私はそれほど多くの会話はしてこなかった。
それなりにまともに喋ったのは3,4回ぐらいだろうか。
お願いされた2回と、「マッちゃんは書の道を歩んだ方がいい」と勧められた時。
@1ぐらいだろうか。
後は基本的な挨拶に類する内容ぐらいだ。
「今年こそ痩せようね」
毎年6月になると、恒例行事のように言っていた。
「毎年いってらぁ。そんなこと言いながら全然痩せないじゃない」
と私と奥さんを師はちゃかした。
彼女から「先生を手伝って」と言われた記憶はない。
奥さんは私に何を見出したのだろう。
何を期待したのだろう。
時々思う。
永い間ずいぶん考えた。
今では期待に応えたいが、応えようとは思わないことにしている。
それが一番よいように思えた。
何せ奥さんは私に何も仰らなかった。
それは、
「マッちゃん、そのままでいいよ」
そういうメッセージだと受け取っている。
ただし、
「私の代わりに先生の傍にいて欲しい」
それだけが彼女の唯一の願いのような気がする。
事実それしか出来そうにない。
だから私は普段一切先生を意識しないようにしている。
意識すればいずれ疲弊する。
師は何も言わない。
私も何も言わない。
7月20日以降は頻繁に連絡をとっているが、その内容は世間話だ。
この6年ぐらいは1年に7日ぐらいしか顔をあわせないのが普通だった。
つまり書道展の時と、その撮影の時、作品を選別して頂く時ぐらいなものである。
それでもお互い何も言わなかった。
師は時々私にこう仰る。
「これほど長くいる親父ですら全く私のことを理解していないのに、
マッちゃんは何から何まで理解してくれる。細君(奥さん)もそうだった。
そんなもんなんだねぇ」
と笑う。
彼女のことを思うと不思議と今でも涙が出る。
悲しいという感覚はない。ただ涙が出てくる。
理由がわからなかった。
最近になり、未だに「受け入れがたい」のだろうと思っている。
師にそう言うと、
「いやいや、単に歳くったんだよ」
と再び笑う。
師はあれ以来涙を流さなくなった。
そのかわり、少年のような笑顔でこうこたえる。
「いるから。
わかるんだよ。
いつだったか約束したんだ。
『私が死んだらおんぶお化けになって出るから』
彼女は真面目な人だから。いるんだよ。
だから、
これからの人生は私の人生であると同時に、
彼女の人生でもある。そう思っている」
確かにあれ以来師は変わった。
厳密には変わったというより、育んでいるといったほうがいい。
なるほど自分を自分として今まで通り保持ながら彼女の要素を育んでいるように思った。
「凄いなぁ・・・」と思う。ただただ感嘆でしかない。
あれほど嫌がっていたことをこともなげに今はやる。
今でも嫌なことにはかわりはない。
先生そのものは十五年前と何もかわっていない。
彼女がそうさせるのだろう。
昔から”正直の頭には神が宿る”という。
師も例えにだす。
祖母によく言われたのだそうだ。
もしそうだとしたら、先生の頭には宿っているのだろう。
疑いなくそう思える。
それで宿っていないとしても、間違いなく奥さんはいらっしゃる。
でなければ説明がつかない。
先生らしい。
「なまじそういうのがあると観念的になるからマッちゃんは置かなくていいよ」
当時そのように言われた。
でも片付けることは出来なかった。
今でも所定の位置に鎮座している。
ただ、飾っているだけだ。
特に何もしていない。
先生の所に行く時に「先生のところに行ってきます」と語りかけるぐらいだろうか。
私のところにある写真よりも薄ら汚れている。
今でも最後にお会いした時のことが頭をよぎる。
彼女は私に何を託したのだろう。時々そうした思いが湧いてくる。
彼女は物静かだった。
本質的な質問やお願い等は敢えて口に出さなかった。
いつも目をあわせて、ニッコリ笑って終わり。
師から、死後こんな話を聞いた。
すっかり忘れていたが、最近になり師が再び話してくれる。
展示ギャラリーの大規模な個展は初となる開催に向け作品制作に打ち込んでいる時だそうだ。
「これからはマッちゃんに手伝ってもらうように」
彼女がそう言っていたと。
私は彼女から言われたことは一度もなかった。
その頃の私は仕事人間だった。
寝ても覚めても仕事。
第二の師匠である野尻先生のところにお伺いしてまだ数年の三下に過ぎない存在だった。
書のことは頭の片隅にしかなかったように思う。
そもそも私は書に興味がなかった。
第一の師である亀井先生が心を尽くして紹介して下さった師だからこそ通い始めた。
恥をかかせるようなことはしたくなかった。
彼女が私にお願いしたことは2回だけだったように思う。
1度目は亡くなる一年前。
師の書道会である泰永会の事務局をお願いされた時。
野尻先生からは2,3年ほど誘われていたが、ことあるごとに「そうですねぇ」とはぐらかしていた。出来れば避けたいことだった。いい加減諦めてくらただろうと思っていた矢先に、彼女に言われた。
「受けるざる終えない」と腹をくくった。
2度目は、告知された翌日に会いに行った時。
「先生と泰永会をよろしくね」
やはり「はい」としか答えられなかった。
一目見て信頼できる人はそうはいない。
師も信頼していたが、師とは別次元で彼女を一目見て信頼できた。
「彼女の言うことは受けざるおえない」
そういう気がした。
師は自分から奥さんのことを委細語らない。
聞かれても語りたくもないだろう。
「生臭いものは嫌いなんだよ」と一刀両断する。
その言葉の意味を知るものは少ない。
今の師は、彼女のために生きていると思える。
奥さんと私はそれほど多くの会話はしてこなかった。
それなりにまともに喋ったのは3,4回ぐらいだろうか。
お願いされた2回と、「マッちゃんは書の道を歩んだ方がいい」と勧められた時。
@1ぐらいだろうか。
後は基本的な挨拶に類する内容ぐらいだ。
「今年こそ痩せようね」
毎年6月になると、恒例行事のように言っていた。
「毎年いってらぁ。そんなこと言いながら全然痩せないじゃない」
と私と奥さんを師はちゃかした。
彼女から「先生を手伝って」と言われた記憶はない。
奥さんは私に何を見出したのだろう。
何を期待したのだろう。
時々思う。
永い間ずいぶん考えた。
今では期待に応えたいが、応えようとは思わないことにしている。
それが一番よいように思えた。
何せ奥さんは私に何も仰らなかった。
それは、
「マッちゃん、そのままでいいよ」
そういうメッセージだと受け取っている。
ただし、
「私の代わりに先生の傍にいて欲しい」
それだけが彼女の唯一の願いのような気がする。
事実それしか出来そうにない。
だから私は普段一切先生を意識しないようにしている。
意識すればいずれ疲弊する。
師は何も言わない。
私も何も言わない。
7月20日以降は頻繁に連絡をとっているが、その内容は世間話だ。
この6年ぐらいは1年に7日ぐらいしか顔をあわせないのが普通だった。
つまり書道展の時と、その撮影の時、作品を選別して頂く時ぐらいなものである。
それでもお互い何も言わなかった。
師は時々私にこう仰る。
「これほど長くいる親父ですら全く私のことを理解していないのに、
マッちゃんは何から何まで理解してくれる。細君(奥さん)もそうだった。
そんなもんなんだねぇ」
と笑う。
彼女のことを思うと不思議と今でも涙が出る。
悲しいという感覚はない。ただ涙が出てくる。
理由がわからなかった。
最近になり、未だに「受け入れがたい」のだろうと思っている。
師にそう言うと、
「いやいや、単に歳くったんだよ」
と再び笑う。
師はあれ以来涙を流さなくなった。
そのかわり、少年のような笑顔でこうこたえる。
「いるから。
わかるんだよ。
いつだったか約束したんだ。
『私が死んだらおんぶお化けになって出るから』
彼女は真面目な人だから。いるんだよ。
だから、
これからの人生は私の人生であると同時に、
彼女の人生でもある。そう思っている」
確かにあれ以来師は変わった。
厳密には変わったというより、育んでいるといったほうがいい。
なるほど自分を自分として今まで通り保持ながら彼女の要素を育んでいるように思った。
「凄いなぁ・・・」と思う。ただただ感嘆でしかない。
あれほど嫌がっていたことをこともなげに今はやる。
今でも嫌なことにはかわりはない。
先生そのものは十五年前と何もかわっていない。
彼女がそうさせるのだろう。
昔から”正直の頭には神が宿る”という。
師も例えにだす。
祖母によく言われたのだそうだ。
もしそうだとしたら、先生の頭には宿っているのだろう。
疑いなくそう思える。
それで宿っていないとしても、間違いなく奥さんはいらっしゃる。
でなければ説明がつかない。
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