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2012年1月21日土曜日

Andoroid2.3.4:005SH:スマホは現代における高価な道具

危険性や使用感を知りたい方が結構いらっしゃるようですね。
自分なりの体験を通して書いてみようと思いました。

私の場合、スマホは高度な玩具の域を超えないと感じています。
本当の意味で便利な道具たりえるには、まだ少し時間がかかりそうです。

とはえい、最近では仕事で必須になられている方も散見されます。
そういう使われ方、職種の方は、武器となられていると思います。
基本的には一般の人には関係ないと思います。

面白い玩具ですけどね!!
大人の玩具としては本当に面白いです。
また、使い方を考えれば安上がりな玩具とも言えます。




スマホを恐れる人は、クレカを恐れる人と類似している気がします。

今でこそクレカは多くの大人たちが当たり前のように持っていますし、使っています。
ですが、私が使い始めた頃は周囲の大多数の人はクレカをもっておりませんでしたし、
もっていても使わず、何より恐れていました。
その意見の大半は、

「あんなものでモノが買えるなんて恐ろしい」

といったもののように思えます。
それはある意味とても正しい判断でもあると思います。
私もそう思います。今でも首をひねります。
そして恐れて手を出さないならやっぱり止めた方がいいと思います。
新しい道具を受け入れるには、
興味と、知と、才能の段階を経た上で受け入れるのがよいと思います。

そのうち、これが国民総背番号制の上で必須アイテムになる日も来る可能性を感じますが、
まだそれには少し時間がありそうです。
企業では既にそれを彷彿とさせる使い方をされだしているように感じます。
(携帯で個人認証をさせるシステムがショップや会員サイトでも各種動員されている)

「いずれ使わざるを得ない時期が来るかもしれない」

と言うことです。
その時になっても遅くはないのではないでしょう。
今のスマホはある程度リスクを把握して上で、リスクを避けながら使うか、リスクを背負う覚悟をもって使う必要があるように思います。


高度なスマホをもって何をしているかというと、
結局はネット、メール、ブログ、コミュニケーション、ゲームでほぼ全て。
そんなぐらいです。
私はドキュメント関係や写真や録画や辞書、万歩計、カレンダー他ほぼ基本機能全ての機能を使ってますが、ぶっちゃけ無くても困らないものがばかりです。


早い方がいいと焦る人もいるでしょうが、そうも言えないように思います。
早いが負けということも充分にあります。
私も当事者だったマルチメディア戦争などはその典型例でした。
そこで痛感したのは、伝統がない分野に早いが勝ちはない、ということです。
ルールが根本から変わってしまうので早いが勝ちはないです。

どんなに自分なりのテクをみにつけても、この世界は次の世代で1コマンドで実行されるようになったりしますし、更に進むとそれすら必要がなくなってしまう。それがコンピュータの世界に思えます。
早くて勝った見えるのは結果論でしかなく、運としか説明が付きません。
むしろ「下手な鉄砲数うちゃ当たる」と言った方がしっくりきます。
たまたま当たったに過ぎず、地に足の着いた仕事が継続して出来ているところがどれほどあるか?と振り返ると現代の芸人さんのようにほぼ一発屋のような気がしてなりません。

その上で避けようがない壁にぶち当たった時は素直に受け入れるのがいいように思います。
人間の好奇心は有限であり、子供も同じです。
人は好奇心を無視し続けると、生きる意欲すらも失ってしまうように思います。
子供に無思慮に渡すべきものとは思いませんが、
子供が要求して困るという親御さんは、「やろう」と一旦受容して、子供と共にこうしたツールの反乱する時代をどう楽しんで、安全に生きるか共に歩もうというスタンスが必要かもしれません。

(母と携帯)

6年ほど前でしょうか、母が「携帯を持ちたい」と言い出した時、正直困りました。
その危険性を全く知らないからです。
しかも聞く耳もありません。(聞いてもわからないと決めつけている)
ある意味では子供と同じです。
「欲しいから欲しい」であって理由はあってないようなものでした。

私は頭を切り替えて、「もつ」という前提に話をし始めました。
「何がしたいの?」
「携帯で電話がしたい」
「固定電話じゃ駄目なの?」
「皆持っているし、持っていないの?って言われるから」
「じゃあ、皆が持っているから欲しいんだ」
「いや、そうじゃない。・・・待ち合わせにも便利なんでしょ」
「便利だけど、待ち合わせするようなことそんなにないんじゃない?」
「たまにあるから待つのが嫌なのよ」
「相手が持っているならいいんじゃない?」
「自分も持っていた方がいいでしょ?」
「わかった。じゃー携帯で電話をしたいんだ。メールは?」
「メールって何?」
「うん、知らないなら忘れて。じゃー携帯で待ち合わせの時に電話がしたいわけね」

とニーズを確認した上でプランを選び、私のお古の携帯を渡しました。
そのプランの危険性を話し母は使い始めました。
「なんだ簡単じゃない。あなた脅かすから」
と、母には言われましたが、
母はダイヤルを押して電話を掛ける方法を覚えるのに少なくとも十回ぐらいは同じことを聞いてきました。
アドレス帳に登録するという方法を覚えたのは5年以上経過したつい最近のことです。
しばらすくすると
「メールがしたい」と言い出しました。
その段階でメールの危険性を話し、そのリスクを背負ってまでしたいの?と確認をすると「したい」とのことでしたので危険を伴わない運用の仕方のみを教え、そこから半歩でも踏み外したら覚悟をシたほうがいいとだけ言いました。
母はまるで幼子のように言ったことを着実に守りメールが出来るようになりました。
その間気の遠くなるようなやり取りを繰り返しましたが、母は逆ギレしながらも良い生徒でした。

しかし、未だ危険性の本質はなんとなくしか理解していないようです。
それは仕方ないと思います。
そうであっても、使い方の範囲を限定すれば安全に運用できるようです。
もともと道具とはそういうものなんだな。と考えを新たにしました。
道具とはそもそも危険性をもっているものです。

人はそれぞれの興味と才能の要求する段階をもって知を深めると思います。
受け入れる土壌がないのに変に知識ばかり肥大化するのはかえって危険に思いました。
母を通して色々勉強させてもらいましたね。

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