師は作品を書いている途中、間違ったり、紙が破れても全く表情が変わらず書き続けます。
以前より不思議に思っていました。
「あ!」という表情。
「しまった!」という反応は無意識の反射運動です。
それは抗いがたいものに思います。
先生にはそれがない。
それがないというのはどういうことなのだろう?
長年の疑問の一つでした。
先日話しの流れで師より「よくそう言われる」と出たので、
思い切って質問してみることにしました。
すると、こんな応えが返ってきました。
『出来たことにしか興味がない』からかもしれないね。
100枚書こうが、1000枚書こうが、駄目は駄目だよ。
紙が破れていること、間違ったこと、書けていないことに差異はない。
どっちも『書けていない』という点では同じだよね。
だからじゃないかな。
興味があるのは、書けたかどうかだけ。
『書けた』で完成。
だから1万枚書いたとしても、1枚で上がったとしても同じこと。
『一杯書きました』ってアピールする人もいるだけど、
一杯書いたかどうかは問題じゃない。
出された作品が全て。
『時間がありませんでした』とかも同じ。
出した作品が全て。
時間をかけようが、かけまいが、
一杯書こうが、書くまいが、
作品が全て。
駄目は駄目。
良いは良い。
自分の中には『出来るまでやる』ということしかない。
それにかかった時間や労力なんて関係ない。
だからじゃないかな。
「うわーこんなに書いている?!とか思わないんですか?」
「思わないね」
『出来るまでやる』ここが一切揺るぎないからミスの差異は委細問わない。
ということのようでした。
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