2010年5月2日日曜日

デジタルの抱える不便さと

最近富みにデジタルのもつ不便さに眉をしかめることが多くなった。
ザーッと思うことを並べてみる。

・パソコンや端末が高速であること。
・サーバーが高速処理できること。
・回線が高速であること。
・自分が前提条件を把握していること。
・自分が基本的ルールを理解している、または直ぐに理解できること。
・上記の条件を相手も叶えていること。

これらが暗黙のルールとして把握できていて、便利という側面がある。

私は親に携帯の使い方について話すことが多かった。
当初は電源を入れることすら一悶着。
「電話の受話器のアイコンがボタンに書いてるでしょ」
「アイコン?」
「えーっと・・・マーク・・・絵文字っていうのかな、受話器のような絵がさ」
「え?ないわよ」
「赤い色のがない?携帯の右側にさ」
「赤い?・・・ああ、あるわね。これ受話器なんだ」
「そうそう(汗」
「その反対にね、緑色か青の受話器の形したマークがあるでしょ」
「反対?」
「反対っていうか・・・まー・・反対かな、左の方にね」
「緑なの?」
「メーカーによっては青ってのもあるだろうし、色分けしてないかもしれないけど、似たような形した」
というようなやり取りをしていた。そして翌日には綺麗さっぱり忘れている。

当初はそれこそ、このように丁寧なやり取りはしなかった。それは、少しして自分が当然と思っている基本的条件を相手が何一つ備わってないと理解できたからだ。それは誰しもあることだ。そこをギャーギャー言っても出来ることすら出来なくなってしまう。

別な件でも、「iPodのデータが消えちゃった」とヘルプの電話があった。私はiPodはもっていないし、使ったこともない、やり方を誰かに教わったわけでもないが、メニューをザッとみてすぐに同期する方法を理解できた。

GWで遊びにきた親戚の叔父も、携帯が変わって色々分からないと困っていた。仕様というのは次々と変わる。仕様が同じようなものでも機種が変われば手順が変わる。すると、せっかく苦労して覚えてもまた分からなくなるというわけだ。若い頃はしばらくこの感覚が理解できなかった。制作の現場では誰でも簡単に使えるようにあらゆる努力をしている。全てはある種の型の延長線上にある。そのため、見ただけで想像が出来るので固有な機能や特殊なものでなければ使える。それが誰しも当然できるものだと思っていた。

どうやらそうでないようだ。

私は電子機器に興味があるし基本的な礎をある程度把握しているので、コレはコノ延長線だなと応用展開できる。逆にそれがないと、変るたびに振り出しに戻ってしまうようだ。デジタルはルールが非常に多い。暗黙の部分だ。これを把握して初めてスムーズに展開できる。仕事もそうだ。自分が理解し、相手が理解できてこそ風通しがいい。その理解が自分、もしくは相手になければこれほど不愉快なものはないだろう。ただしこれらは当然の前提として良いものだろうかと考えると甚だ疑問だ。

人間がやっていることは何も変わっていない。