2011年7月30日土曜日

その意欲たるや

「これからの20年は今までの10倍から30倍作品を書くし、作るよ」
電話口で先生はそう言った。
「え!?それって想像も出来ない量ですね」と驚いていると、
「こういうのは想像したら出来ないよ。なんとなく把握していないと」
先生のスケールの大きさな把握できない。


今まででも充分多かった。
その上で捨ててしまう。
発表作は氷山の一角にすぎず、埋もれるほどあった。
しかも完成をみた発表作すら多くは捨てられるようだ。
ある日の電話でも、
「整理しだしたら出るわ出るわ。
今みるとダメだね。本当に残せるのは一部しかないよ。
ほとんど捨ててスッキリした。いいキッカケになったよ」と語った。
「奥さんが”これからは出きるだけ作品は捨てずにとっておいた方がいいって”亡くなられる前に仰られませんでした?先生も”そうだね”って・・・」
「でも駄作をとっておく理由はないよ」
「えーっ!!」驚く私。
なんとう自由さ。
筋も通っている。

そんなものだから先生は失敗作を他人に渡すことはない。
即捨ててしまうし、許諾しないからだ。
せいぜい残るのは稽古の手本ぐらいだろう。

弟子の中にはもらった手本を全てとっておく者もいると聞く。
先生にその意見を聞くと、
「やだねぇ。全部捨てて欲しいよ。
中には僕の書いた手紙をとっておく(書でしたためられている為)
なんていう嫌味な人もいるよ。いやだねぇ、本当に嫌だ」
「それって嫌味なんですか?敬意を表しているような思えますけど」と尋ねると、
「僕からしたら嫌味だよ!!手紙は読んだら捨てるもんだよマッちゃん」
「でも・・・私も貰ったら多分とっておくと思います」
「んー(嫌そうに)・・・まぁ、渡した以上は相手に委ねるしかないけどね。
僕の気持ちからしたら嫌なんだよ。それが本音」

その理由は恐らくこうだろう。
偉人の作品とは呼ばなかったモノが後から出てくることはよくある。それを嫌っているようだ。
それらは落書きだったり、そもそも作品でなかったりする。
にも関わらず、中には「大したことない」と後世に語られてしまうこともある。
「作品じゃないんだから当たり前だよ!!
本人からしたらえらい迷惑だ!!!
お願いもしていないのに勝手に漁り、
その挙句に文句を言うなんて本当に酷い話だよ。
だから捨てる」と度々そうしたニュースがあるごとに憤っていた。

筋が通っている。
でも、出来そうで出来ないものだ。