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2021年1月28日木曜日

健康:両親のどっち系か、知って損なし


健康の話


昨年1月末から注視していた新型コロナの後遺症が正真正銘ヤバイということが改めて判り、加えて両親の体調やら精神状態やら野尻先生のことやら先生のお父さんの肋骨のヒビことやらで、新年早々、健康のことをずっと思いを巡らせてました。

皆さんは健康ですか? 健康なら結構なことです。健康ほどの財産は無いなと痛感します。どんな才能も、お金も、地位も、名誉も不健康では十二分に活かせません。野尻先生も仰ってましたが「長生きこそが最高の才能だよ」と思います。

ただ、健康な人って本当に不健康な人の事が想像出来ないのは困りものです。野尻先生もそうでした。また、健康でありすぎると満身し、往々にして一直線に落下しますね。だからこそ「長生きこそ」最大の才能なのでしょうね。

今回、私自身の健康を中心とし、命と病気の話をツラツラと書いていこうと思います。コレを機に、皆様もご自身の身体をご自愛下さい。新年ですしね。私の病の根源は「自己免疫疾患」なのでどうしようも出来ないのですが、案外他の病気は努力次第なものも多いです。気づいたら吉日です。

COVID-19で慢性疲労症候群が初めて世間の注目を浴び、今後多くの研究者がこの自己免疫疾患の解明に取り組んでくれたのなら、このパンデミックが残した一つの光になる気がします。私はソコを期待しています。

2000年代初頭より免疫系の本をこれまで幾つか読んで来ましたが、やっぱり研究費が回ってこないそうなんです。(;´Д`) まー私なんかCOVID-19の前、20代より実質慢性疲労症候群なんで。これ、経験しないと判らないのですが、本当にキツイですよ。

病気のデパート


先生のお父さんとは病気の話でも毎度盛り上がってしまいます。私にとって先生のお父さんは希望の星ですね。何度も死にかかりながら不死鳥のごとく蘇ってくる。常に「今夜が山です」と言われ、事実上「覚悟して下さい」宣言をされるのに、完全復活してくる。

でも苦労の堪えない人生で本当に頭が下がります。それだけに先生には頭にくるんです。「あんたがお父さんの人生に影を落としてどうすんだよ!!」と、今も声を大にして言いたい。先生のお父さんは悲壮感が無く飄々としており本当に尊敬しております。以前は「言った所で詮無い話しだから」で終わり。それがわざとらしくない。格好いい!! 実に格好いいです!!

そんな先生のお父さんなのですが、実は芯の芯では丈夫なんでしょうね。色々、お父さんの話から症例を調べたりもしたのですが、そこまで行ったら完全復活は普通は無理らしいんですね。ビタミン不足からくる失明しかかった事件とかも、普通は影響が大なり小なり残り、完全回復は難しいとありました。そして私もそうかもしれません。そんな話を先生が亡くなる前に言われました。

私は物心ついた時から 慢性鼻炎 で常に息が苦しいという記憶があります。その後、思春期にアトピーが発症し当時はステロイド剤が無く大変苦しみました。二十代の過労を機に三十代から病気が増え続け、それらは全て治ることなく今も捨てられないカードが手元に増え続ける不利な条件でゲームを続けているような状態です。

親のどっちに似てる?


早期に知っておいて損がないことに「自分はどっちの親に体質が似てる?」です。今まで色々な人と話して実感するのは「遺伝って怖い」です。必ずと言っていいほど同じ道を辿る。なので、自分が親のどっちに似ているか早期に把握し、それに応じて準備しておくと相当違うと思います。

ちなみに私はビックリするぐらい母に似てますね。舌といい免疫力といい、体質といい、自律神経系が弱いところといい。なので、「あ~今日は母さんキツイだろうなぁ」というのが手に取るように判ってしまいます。リンクするんですねぇ。

死について


今でも時折「なんで先生は亡くなったのだろう」とふと思いが浮上することがあります。大体が”ぼんやり”した時にですね。「どうにか出来なかったのか」とか。お父さんと会うと毎回のように話題に上ります。

勿論、結論は既に出ています。「どうも出来なかった」です。「死はどうにも出来ないのだな」というのが腹の底から実感します。私は最初の師匠の死でも悔いが残っています。間違いなく出来ることは無かったのに、「もし」「もし」「もし」と、考えてしまうんですね。次に活かしたいと。

でも先生の死でかなり納得しました。「どうにも出来ない」ものだと。私の父が昨年10月にアワヤという所だった点にしてもそうでした。一歩間違えば普通に亡くなっていました。「生死」とはそういうものなんだと。

私が大学病院に治療で通っていたおり医師にこう告げられました。「外側から見て大丈夫かい?!」という次元の時点で「ほとんど手遅れ」もしくは「相当に悪化している」と。つまり、気づく前から始まっている。

神のみぞ知る宿命


野尻先生で言えば、お母様に似た体質だったように思います。ご自身も言ってました。それだけに突然死する可能性は考えていたようですし、故に何時死んでも悔いが無いようにお母様を失ってから生きたと言えます。

よく仰っていたことに、人の生死は予想は出来るが、結局の所は「判らない」と言えると。つまり、バイオリズムのようなものを読んで、「この年は特に危ない」というのは判るのですが、「本当に死ぬかどうかはわからない」のだそうです。実際、先生は奥様の死は判りませんでした。私は何度も「検査に行った方がいい」と言いましたが。後から見て「危ない歳」ではあったようです。

同様に先生も「2019年は危ない」という自覚はあったように思います。ですので私も注意を促しながら一方で安心してました。自覚されているようでしたので。先生は暫くやめていたウォーキングを再開したりとか、一部、食事療法を復活させていたりとか、ありましたから。それでも防げなかった。

先生のお父さんは非の打ち所がない完全姓名なのにねと今も仰ってます。先生は恐らく「ま~そういうもんだよ」と思っているでしょう。二人でこういう話をしました。個々人の命や人生というのは大きな括りの中の小さな存在に過ぎないということ。つまり上の括りで何かあれば下の括りは一溜まりもないのです。

また、早死にすることそのものが必ずしも不幸では無いとも言ってました。生きる方が遥かに大変だからねと。でも、だからこそ、生きてこそだよとも。また、先生が恐れていたのは「完璧」というのは予期せず崩壊する点でした。それ故に、兆しに集中してましたし。にも関わらず防げなかった。防げないものなんですね・・・。

他人の言葉は金言


先生のお父さんは唯一悔いる点として「頑な名前にしたは不味かったかな~」とのことで、「頑固過ぎた」と。名前の下に「金」の性質が入ると頑固になるとのことですが、確かに先生は生半可な頑固さじゃありませんでした。

ただ・・・これって難しいですよね。だって、頑固だからあそこまでやれた。頑固だからこそ独自の表現に昇華出来るという側面はあると思うのです。あれだけの逆境でもやり通せるというのも頑固さ故ですし。だから・・・一長一短。それ故に先生の命名は「大器晩成型」に必ずつけるんですね。

最近思うのです。確かに頑なさは身を滅ぼろすなぁと。「頑な」というのは偏りです。バランスが崩れている。また、バランスをとるのが難しい。先生は私の言うことは一切聞きませんでした。自分の弱みをお父さん以外には握られたく無いようで、私の言うこと全てと言っていいほど反発しました。

後から私の言うとおりにシレッと変えるです。私がそれに触れないでいると、数年たったあるタイミングで気まずいからか「マッチャンの言う通りだったね~」と嬉しそうに言うんです。そうしたことを何度も繰り返している。なのにやっぱり反発するんですよね。

それでも考えてしまう何故


先日もある医療記事を読んで、少しだけ「もっと強い言っていれば或いは・・・」と思ってしまいました。やっぱり駄目だったでしょうけど。心筋梗塞というのは割と事前に対処出来るんですね。なんか、それを読んで「だったら・・・」と思ってしまいました。

野尻先生って本当に面白い人で、圧倒的に知的優位に立って、相手の造詣が相当深いと感じると素直に聞くんですよね。聞くだけは。そういう意味では「もっと私が唸らせるほどの医学知識があれば或いは・・」と考えてしまうのですが、やっぱり無理だったでしょうね。なんだかんだ亡くなる前に「マッチャンの医学知識が凄いね!」といちを感心はされていた上で聞きませんでしたから。(笑) 寂しいなぁ、寂しいよ先生。全く身勝手だ。

最後に


ま~何にしても、不健康でずっと来ているとメリットも少しはあります。自分の肉体の変化を常にある程度は把握している。色々知見も増えるしコントロールも少しは出来るようになる。苦しみながら長生きしそうで怖いですね。(笑)野尻先生からも、「そういう人の方が長生きするんだよ」と言われました。もういい加減疲れましたけどね。

健康な人は本当に慢心してますよね。だって本当に他人事ですし。対岸の火事どころじゃなく、異国の火事って感じで聞いてますもの。大袈裟だな~ぐらいな感覚なのでしょうが、大袈裟じゃない。それが慢心です。せっかく健康に生まれたんですから、活かして下さいね。

歳をとると本当に時間が亡くなると痛感するのですが、それって「肉体のメンテや生活そのものに時間がかかる」のも要因になっていると痛感します。私は現在、歯槽膿漏をこれ以上進行させないように1日90分から2時間も歯磨きをしています。(そうしないとあっと言う間に進行する)1本1本確実に漏れなく磨くとこうなります。これで2時間毎日ロスしてますよね。

更にお風呂に入ると、血行の為に1時間ほど長湯するようにしてます。先生の遺言みたいなものだし。加えて上がると肌のメンテに1時間かかります。これで2時間ロスしてますよね。ココに加えて食事の準備から片付けまで1時間ちょっとかかります。私は2食なので2時間です。あ~ら大変。単に生きるだけで6時間も浪費している。(笑)

いやいや笑い事じゃない。これに加えて、まだ呼吸は苦しいのですが、歩ける程度には回復して来ているのでまた歩き出したですが、前後合わせて1時間。他にも買い出しやらゴミ出しも生きる最低限ですから。怖いですね~どんどん時間がなくなります。

昔はカラスの行水で風呂は10分でしたし歯磨きも10分ぐらいです。食事は適当で買い出しも直ぐ終わる。そもそも1つ1つの動きが速いので時間もかかりませんし、今ほどには疲れませんので、次から次と出来ます。だから加齢すると時間が短くなるんだと思いました。

あ~怖い怖い!!w 残り時間考えないと。今のテーマは簡素化。最低限必要なことは仕方ないので。他の部分をどうカットするか。多分、今後、肉体のメンテにもっと時間がかかるようになるでしょう。何が大切か考えないと。

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