2010年5月5日水曜日

iPad 100万台セールス

先日ラジオ(TBS)を聞いていたらiPadが100万台売れた!とのことで、これはiPhoneを上回るペースで売れているとのことだ。想像以上だ。日本では発売が遅れており今月末の予定らしい。カメラマンである兄がiPhone購入を検討していた時にケチをつけた私だが、「iPadは買う!」と宣言した時には否定しなかった。それでも初代は珍しいおもちゃの次元を超えないだろうが、それでも可能性を体感するに十分なものだと考えたからです。

私がこのニュースの中で最も注目したのは「iPadがあれば携帯もパソコンもいらない」という使用者の発言だ。使う前よりその手の発言はあったが、実際に使った人らの感想は大きい。現実問題パソコンをパソコンとして使えている人は実に少ない。そういった人たちにとって必要とされる機能は限られている。パソコンはあまりに一般の人にとってオペレーションが複雑で知識を必要とされた。これは同時に出先でノートパソコンを使う人達にとっても別な意味で共通の認識だった。私もサラリーマン時代にバックパックを背負ってノートパソコンを駆使していた。「周囲からはア4だア4だ」と言われながらその未来の可能性を実感していた。出先の電話回線からFAXを送ったりしたものだ。ただ、実際その不便さに頭を悩ませた。出先で致命的なのは、重い、起動が遅い、キーボードが邪魔、オペレーションステップが多すぎる、通信するのに端末へ接続しなければならない等々 あまりに課題が多すぎた。形状や仕様からもiPadはそれをとりあえずクリアした初めての端末だ。

過去に目を向けるとiPadの用な存在は昔からあり、例えばパームのようなPDAが一刻売上が伸びブームにもなっていたことからも伺える。しかしあまりにそれらは中途半端だった。大きさ、バッテリー、処理速度、画面サイズ、機能等の否応が無い制限が実用を満たしていなかった。恐らく、誰しも潜在的にそう感じていたはずだ。それに類するものは一部の熱狂的なユーザーに支持され続け、将来に希望をたくしていた。「もう、無理なんだろうか?」と思った時にiPhoneの登場だ。待ち望んだ人は熱狂しただろう。ただ、アレには致命的にかけているものだがあった。小さすぎる。道具には最適なサイズがある。

「あの延長線上にA5ぐらいのサイズで出ればいよいよだな。それに通話、通信があれば完璧。・・そこまで望めないか」

その矢先である。まさかこんなに早く実現化されるとは思わなかった。現代は凄い!誰しもわかっていても、大人の事情で出来ないことは実に多い。当然ながら初号機は不十分だろう。不具合も多いだろうから私は購入しないが、最低限の安定性と能力が確保される次世代には万難を排して購入したい。(笑)あの大きさであれば、パソコンとしての能力も実用的な範囲内で遺憾なく発揮できるだろう。それでいて、使い易いインターフェースとパソコンにありがちな複雑は操作を簡略化させれていると思う。私たちが昔から望んでいたモバイルになったのだと思う。あ4みたいに高い端末を何台も買っては失望したフラストレーションがようやく解消される日が来るとは!wただ、正直今のAppleの動向は恐ろしい。冷ややかに見ざるおえないだろう。むしろGoogleのような動きを期待したいが、今の動きは真逆に思える。

twitterの爆発的な発展の現実と、その無限の可能性を見て欲しい。コレなのだ。これでこそ意味がある。少なくてもそれとは大きく異なる動きだ。昔からAppleは頑固であり柔軟性にまるで欠けていた。何かと言うと囲い込みを開始する。その先にはあるのは硬直である。何ら発展性もない。

それよりもなにより、「iPadで何をする?」ってのが問題だ。
最終的に自分にとって意味がある行動をとるための道具にするには、「本人が何を出来る人か」というのが問題である。その点でも今の私がiPadを持ったとしても、大人の玩具で終わりそうだ。